はてなダイアリーに引越しました。
coyotenoteというタイトルも変えたくて仕方がなかったのですが、代替案が思いつかず悶々としていましたが、結局何も思いつかず、よくわかりませんが"OnFire"にしてみました。やっぱりカッコつけてしまいますが、仕方ないのでしょう。
新しい日記はこちら。またふらっとこっちにも戻ってくるかもしれませんが、とりあえずはてなへ。
http://d.hatena.ne.jp/biwacovic/
いつものごとく長い。自伝的な小説だが、ジャックは作家ではなく映画俳優になる。レスリングをやるのはアーヴィングと同じだが、ジャックは絶世の美少年で、最初で最後の恋をあっという間に終わらせてしまう。このあたりも自伝なのだろうか?下ネタの横溢もアーヴィング史上最高の出現率ではないかと思うが、やっぱり色っぽいというよりも痛くて、切ないセックスばかりが描かれる。
どうでもいいようなことばかりが書かれているようでいて、全てが書かれなければいけなかったことのように思えてくる。不思議な小説だが、思えばジョン・アーヴィンの小説は全部そうではなかったか。
次々と実名で繰り出される映画ネタのあたりはくだらないと思いつつも笑ってしまったが、1999年のアカデミー賞の脚色賞が「サイダーハウス・ルール」でアーヴィングが受賞したことを解説を読むまで忘れていた。
ジャックの口癖の「おー」は、とてもかわいいのだが、オッサンになってからのジャックが言うととても切なくなる。いつまで彼は「おー」と世の中に対して驚き続けるのか。とっくに世の中に期待することをやめてしまっていても、この言葉は発せられ続ける。「やめなさい」と誰かが叱ってくれればいいのだが。
小説は、無駄に長い方がいいのだ。少なくともこの小説を読んでからしばらくの間はそう確信出来る。
そこに書かれていることを評価したり、解釈することよりも、「おー」と言いながらページをめくること。この2週間ほどの間、それが出来て嬉しかった。そしてこの長い物語を読み終えたあとに、改めて"UNTIL I FIND YOU"というタイトルを眺めると、不思議なことに目から水のようなものが溢れていることに気付くのだ。なんという魔法だろう。
日曜日。お別れの試合というには時間が経ち過ぎているけど、それでもやっぱり味スタに向かう。寒い一日だった。丸亀のラストゲームほどの寒さじゃなかったけど。
相手はラモス、山口、前園、本田、相馬、名良橋、小倉・・・・ホントにアマラオ・フレンズなのかあやしいメンバーでしたが、まあ余興だからいいではないですか。アマラオ・レジェンズは良かったね。なんかその東京OBメンバー達を「あんまり有名じゃないけど・・」って紹介するところでアマラオが泣いちゃうってのが、なんか今更泣かせんなよという感じだったけどね、なんかあれこそが「仲間」という感じで良かったな。
「あの頃」というほど昔を知ってるわけでもないし、昔を懐かしんでセンチメンタルに浸ることよりも楽しいことがいっぱいあるのだとは思うけれど、見る側も、選手も、みんなひとつになってボールを追っかけてたような感覚はやっぱり簡単に得られるものじゃないし、感じ方は人それぞれだとは思うけど、みんなにとって魔法のような時間は永遠に続くわけではなくて、そんな時はいつか終わり、否応無しに日常に取り囲まれていく。それがこの10年くらいに起こったことなのかもしれない。
それでもちょっとぐらいは後ろを振り向いたりする自由が僕らにはあるのだ。だから、こういう日があってもいい。
というわけで、とりあえずあの奥さんはかわいくてヤバいという話でした。
雨の土曜日。またもや1-0での負け。
連戦の最後のゲーム。雨が降り続ける中、猛然と中盤でボールを奪い合う両チームの攻防は見応えがあった。ただし東京はカボレがいる分だけ、困った時にズル出来るというか、楽にチャンスが作れるので、どこかで安心してしまったと言うか、油断したようなところがあって、それが結局負けという結果になったのかな、と思うことにする。
ああゆうゴチャゴチャっと狭いところで細かい繋ぎとボール奪取の繰返しがあって、そこから絶妙な感じでスペースにボールが出てスピード感が生まれる瞬間というのが、なんというかロックっぽいというとアホみたいだけど快感なのである。そんななかでこそ、梶山の存在感が際立つというのがわかる試合でもあった。途中からは梶山とか関係なくて、とにかくフォワードにガンガン蹴る展開になったけど、あれはあれでね、まあ雨だしね、という感じ。
寒い雨の中、しかもUK Dayとかでバスペールエール買って飲んじゃったし、なんとも言えない渋い表情でスタジアムを後にするというのも、UKっぽいのかもしれない。よくわからないけど。皮肉っぽくThat's Entertainmentという感じ。
連休明けの水曜日。池袋シネマ・ロサ。女性は1000円の日。妻と二人でキム・ギドクのブレス。
去年「絶対の愛」を見に行った時にもギドク友の会のお二人と出くわしたが、まさか今回も偶然出会うとは。キム・ギドク監督申し訳ない。ただ、我々がいくらブログとかに書いても、お客さんが増える気配がありません。次回作はさすがにオダギリジョー主演だから見に来る人が増えるかもしれませんが、それはそれで心配になってしまいます。
映画について。
今回はちょっと消化不良というか、重度のギドク中毒者としては物足りなかった。ただし、あくまで中毒者の意見なので参考になさらずに。キム・ギドクを未だ未体験の方には充分に衝撃的だと思うし、そこらのくだらない映画を見るよりは得難い体験が出来るのは確かである。
死刑囚が4人部屋なんて・・・というのは、実は残りの3人は存在しないのだという解釈。(私信:俺もそう思いました)ただその分裂が結局何のドラマも起こさない。モニタを眺める看守(キム・ギドク)も、何も起こさない。何の仕事をしているのかわからない夫も、やっぱり何もしない。。ということで、結局のところ、驚愕のミュージカルシーン以降に何も起きないのが致命的に物語から深みを奪ってしまったような気がする。
春夏秋冬、死へと向かう時間。その時間を強引に早送りする女。生命のループを描くなら、彼女は監獄での行為で妊娠して、新たな生命(ブレス)を生み出す・・でもいいし、看守が隠し撮りしたビデオをYouTubeとかで世界にバラまく(ブレスのコピーと拡散)とかでもいい。とにかく「死」に対してもっと何らかのアクションを起こさなければ、死刑囚という「死へと向かう我々全て」の比喩になる存在を出した意味がわからない。
というわけで、キム・ギドク作品でこんなに不満を感じたのも初めてなのだが、やっぱりこんなヘンな映画を作る人はなかなかいないと思うので、これからもギドク映画を見たいと思うし、日本公開がなくなっちゃうような事態になったらそれは大きな損失だと思うので、皆さん見に行って下さい。
うーん、こういうレビューで見に行きたいという人が増えるのか不安ですが、こんな感じでしか書けないのです。以上。
よく晴れた5月6日の連休最終日。久々の3万人超え。こういう日に限って勝てないんだよなあと思ってたらまんまと負けましたね。近藤祐介のPK失敗は豪快だった。あんだけ思いっきり蹴れば悔いはないよ。(いやあるけどね)
前の日に読んでた漫画の「GIANT KILLING」がちょうど"名古屋グランパレス"戦で、漫画の中の名古屋は金満で、外国人頼みのちょっとアレなチームという感じ(従来のイメージに忠実)で描かれているんだけど、今年の名古屋はすっごく真面目なチームで、これを1年間やり通したら万年中位というより優勝争い出来るだろうという気もするが、どこかで息切れするような気もする。
今週末は土曜も日曜も味スタか。アマラオ・ファイナルマッチのメンバーも発表されている。ひゃあ。
ゴールデンウィークである。金曜日は飲み過ぎたというより、食べ過ぎた。
土曜日。妻は仕事に行き、俺は大宮に出かける元気もなく、家でBS-iで観戦。梶山のゴールは実に珍妙なヘディングで、すごいセンスだと思うのだが、その後の揺りかごダンスの面妖さの前では印象も霞む。なんなのだ、あの首の揺れは。怪し過ぎる。
その後もカボレと長友のゴールで、余裕のあるまま試合終了。この時間からレッズが引き分ける数時間の間、首位だったわけで、なんだか笑ってしまう。下の方を眺めやれば、千葉がえらいことになっていて、「同志クゼ」とその仲間たちの将来を案じずにはいられない。(人の心配するなんてなんという余裕)
結局この日は他にもJリーグをだらだらと見て、料理をしながら酒を飲んで、ジョン・アーヴィングを読んでいたら終わってしまった。まあいっか。
火曜日は大分戦。ヴェルディ戦、川崎戦と熱いゲームが続いたけど、この試合はちょっとお休みという感じ。それでも勝つんだからたいしたもんだ。まあ例えば川崎戦の3点目、4点目みたいなのが毎週続いたら見る方も大変だし。
この試合、審判が「死ね」と言ったとかで、大騒ぎになってるけどそれほど騒ぐことかね。スポーツ紙の1面にされたり、Yahooでも取り上げられたり、ほんとどうでもいいことほど一般向けに大きく取り上げられる気がするサッカー界。みんな「権威ある誰か」を叩きたいという熱病に取り憑かれているのか。
「死ね」なんて言う審判はいけないに決まってるけど、別にサッカーじゃん、本当に誰か死ぬわけじゃないじゃん。世の中にもっと大事なニュースはたくさんあるよ。
などと書いていたら、「死ね」ではなくて「して」だったとか、更に脱力するようなことがニュースになってる。「して」って相当エロいけど、それこそどうでもいいわ。それとも「氏ね」だったらよかったかな。
日本の審判のレベルが低過ぎる・・・と一方的に、無責任に、嘆くサポーターにはなりたくない。自分たちは何が見えているか?審判を必死で欺く役者のような選手をどう思っているか?「権威」の不正を叩きまくることで、「権威」が更正するとでも思っているのか?「権威」とはそもそも何か?そして敬意とはそもそも何か?
どこかにミスをせず、感情的にならず、みんなからの尊敬を集める素晴らしい審判がひょっこりいるわけじゃない。そういう人をファンも含めたサッカー界全体で、これから育てるべきなんじゃないかな。前向きな提案も何もなく、審判最低!と煽るスポーツメディアというのは、「日本の政治家はアホすぎる」と言ってる日本のメディア/有権者と同じに思えるのだ。