ウェブ時代をゆく:非の打ち所のない「蜘蛛の糸」理論

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)「ウェブ時代をゆく」読了。「ウェブ進化論」は良かったと思ったが、その後に2匹目のドジョウよろしく出版された、よく分からない学者や作家との対談集のようなものは、正直言ってまったく興味が持てないばかりか反感すら覚えていたが、著者の「ウェブ啓蒙/自己啓発集大成」とでもいうべき本書はやはり読んでおきたいと思って購入。

印象としては、著者の好む村上春樹ではなく、村上龍の小説/言説のような印象を受ける。徹底した現実主義と「人生をサバイバルし楽しむことが、抑圧者への復讐であり、自分の勝利である」というムード。楽観主義、性善説、サバイバルの重要性・・・どれも大人になった僕にはうなずけることばかりだし、この本を読んで勇気づけられることも大いにある。そして同時に不安や恐怖にかられ、自分自身がコモディティ化して社会に使い捨てられて行く未来も頭に鮮明に浮かぶ。このまま漫然とIT業界(笑)で、疲弊し陳腐化していく自分を思うとクラクラと絶望感に打ちひしがれたりする。

何年か前に、村上龍が「13歳のハローワーク」という本を出してベストセラーになったとき、猛烈な違和感と居心地の悪さを感じた。それは今にして思えばおそらく「好きなことを仕事にしよう」という至極真っ当な主張への異議だったのだろう。本書で言われる「好きを貫け」についても同様にぼんやりとした居心地の悪さを感じる。「好きなこと」とは何だろう?僕が「向いていること」ってなんだろう?自分の「選択」は本当に自分が下したことなのか?そもそも「自分」とは何によって作られているのか・・・・そして極めて「戦略的」で「論理的」に下された結果の、「売り物になる自分」という存在に、本当の意味で親しみが湧くのだろうか?という疑問。(それって昨今のお笑い芸人が突出し徹底した自らのキャラ演出で、一時の人気を得ているのと一緒の「戦略」のような気がするしね。。)

そういった面倒くさいことはとりあえず横に置いておこう、だってそんなことばっか考えていたらサバイバル出来ないしね・・というぶっちゃけ論を誰かがいってくれるべきだし、この本はそういう力強さに溢れている。蜘蛛の糸はカンダタだけに垂らされる訳ではない。インターネットは情報をコストゼロで共有/並列化し、誰にも同じ条件で戦うことを許し始めている。だからみんな、その強度を気にせず蜘蛛の糸を登ればいいじゃないか・・という訳である。蜘蛛の糸は事実上無限にコピー可能で、登ることの出来る人も独りじゃないからカンダタの存在もないのだ・・というのが本書のオプティミズム。論理的だし、実に「役にたつ」話だと思う。

ただし、人生はミスマッチ (内田樹の研究室)のような言葉も同時に接種しておくべきだろう。役に立たないことばっかりやってしまったり、選択を誤り続けたり、それを呪い続けたり、まあいいやと開き直ったりする。蜘蛛の糸どころか、そこが地獄であることすら気付かずにニコニコダラダラと過ごしてしまったりもするだろう。そして僕はそうゆう人生も、蜘蛛の糸を登る人生も、同様に愛おしく思う。多くの人生は論理や正しさよりも、不条理や間抜けさに溢れているのだ。

人生はミスマッチである。 私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。 それでもけっこう幸福に生きることができる。

そう、「それでもけっこう」と思えずに、適性/適職を探し続け、未来への恐怖だけにドライブされた人生を送るのはゴメンだったりする。本の影響を受けやすく、すぐそうなっちゃうような人にはこの本をオススメしないし、逆にちゃんと優れた小説を読むようにこの本を読むことが出来る人は読んだ方がいいと思う。僕もいささか歳をとり過ぎた読者かもしれないが、若者がこの本を読んで思うオプティミズムに貫かれた未来の姿を即座に否定するような立場はとりたくない。とりあえずそのことだけは確かである。

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このページは、biwacovicが2007年11月19日 00:38に書いたブログ記事です。

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