2008年1月アーカイブ

年明けてから一回もサッカーの話題書いていないことに今気付いた。まあ今年も結局Uの年間チケットを購入してしまったし、それなりにちゃんと興味あるんだけど。

Jリーグは梅崎が浦和に移籍したことも知っているし、高原も浦和だし、羽生が東京に加入したことも知ってるし、ルーカスとか伊野波とか馬場とか鈴木規郎とか、たくさんいなくなっちゃったことも知ってる。開幕戦が味スタで神戸となのも知ってる。うん、大丈夫。それなりに抜かりない感じで。いきなり試合みて、この人だれー?とかはないと思う。

代表の練習試合チリ戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦もテレビで見たし、代表のベンチに岡田武史、大木武、大熊清というなんとも日本まるだしの顔が並ぶ光景にもそのうち慣れそうだ。

あと、サッカー観戦とは何の関係もないが、成人病健診の結果で、ついに「肝機能障害」「脂質代謝異常」という2項目で、要経過観察のC判定をくらった。体重も過去最高を記録しつつあるし、本格的にヤバいなあと思っているのである。いや今度こそ本当に。

本、CD、DVDが増え続け、どうにも棚に収まらなくなってきて困っている。

今日はどこにも出かけずに、部屋の掃除をしようと決めて、ごそごそと古いものを整理していたら、今度は学生時代のノート、レポート、プリント類がごっそりと出て来た。10年以上経ってるもんだから紙もぼろぼろになりかけてて、思い切って捨てることにしたのだけど、それはそれでもったいないので、スキャナーでスキャンしてみた。(でもA3のものが多くて難儀した)

講義のテキストだったもので、以下を発見。俺のヘンなメモとかも書いてあるけど、そのまま全部スキャンした。
・筒井康隆「死にかた」
・萩原朔太郎「猫町」
・樹村みのり「贈り物」
・ブレヒトとかシクロフスキーとか
・その他ちょっと名前は伏せておくけど、その先生が雑誌に寄稿した文章のコピーとか。

どうでもいい情報だけど、大島弓子選集の3巻に「罪と罰」を原作にした「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」という短編があることを知った。今本棚から出してみたら・・・ホントにあった。(全然印象に残ってないけど・・)

まだまだ大量に残っている「なんとなく捨てられないもの」を片っ端からデータ化していけば、少しは有限の資源である住居の面積を節約することが出来るような気がするが、それをデータ化することに費やす時間もまた有限の資源なので、悩ましいところである。。と思っていたら、猫町はとっくに青空文庫で読めるのだった。

青空文庫:猫町 散文詩風な小説/萩原朔太郎

フロム・ダスク・ティル・ドーンDVDでフロム・ダスク・ティル・ドーン。この傑作、恥ずかしながら未見でした。

牛丼を食ってると思ったらカツカレーだったみたいな感じで、しかもおいしいのだから言うことなし。うん、今更そういうこと言うのも遅いですね。こういう映画が好きなみなさんが去年「グラインド・ハウス」に寄せた期待と、見た後の賞賛は、この映画が一回り大きくなって帰って来たような感覚があったからなのかもしれないですね。

嫁曰く「ジョージ・クルーニーが一番かっこいい映画」だそうで、それも納得。

youtubeにあったトレーラー。これだけ見てもやっぱり異常。

昔住んでた部屋(1992-1994)部屋の掃除をしていたら、いらないもの(何年も前の領収書や捨てた家電の保証書とか)が次から次に出てきて呆れるほかないのだが、今日発見したのはこのイラスト。大学の頃住んでた新井薬師の部屋を自分で描いてみたものらしい。(いちおう妹尾河童風なんだと思う)

大家さんがいつも犬を抱いてウロウロしている庭を抜けていかないと出入り出来ない部屋で、やたらと暗かったが、その代わり駅近で安かった。玄関に入るといきなりこの部屋で、キッチン、風呂、トイレはこの絵で言うと下の引き戸を開けた先にあった。布団はほとんど敷きっぱなし。だったのかな?よく覚えていない。

ちなみにその他に住んだ部屋も、不動産屋で紹介されたときのコピーは全部保存してあって、これもやっぱり捨てられないのである。

28週後

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日曜日、「レンブラントの夜警」を見た後に歌舞伎町でもう1本。28週後

2003年の「28日後」の続編。前作もよかったが、こちらも傑作である。レイジ・ウィルスが鎮圧されたかにみえる28週後のロンドンが舞台。そう、あの高速ゾンビ化ウィルスが再発してしまうのである。

「28日後」と「28週後」の2本は言うなればエイリアンとエイリアン2のような、どちらも恐怖とその拡散を描きながらも、その対処法や描かれ方が微妙に違う2本の素晴らしい映画である。恐怖だけでは映画にならない。希望だけではウソになる。そういう基本がきっちりわかってるから、この映画はまるで教科書のように素晴らしく残酷な展開を辿る。一切ダレることなく、容赦なく物語は突き進む。そしてラストシーン、わかっていてもやはり素晴らしい。

28日後... (特別編) ボーナス・エディション

北北西に進路を取れ 特別版ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」を近所のTSUTAYAで借りてきて見た。

ゴージャスでスマートでエレガント。こうゆう古典もガンガン見ておきたいなと思った。ケーリー・グラントとエバ・マリー・セイントのラブシーンが濃厚でいやらしくて、脱いでないんだけど、こうゆうねっとりしたエロい感じが昔の映画っぽい。

本作とは関係のない話だが、DVDレンタルはやっぱりかったるいなーと思ったりした。最近様々なところで言われているが、ブルーレイだHD-DVDだのと争っていた次世代ディスクの規格は、ワーナーがブルーレイに決めたのでそろそろ決着かと思われるが、結局最終的にはハードディスクがあればいーじゃん、になりそうな気がするし、Apple TVではついに映画のレンタルもはじまったみたいなんだけど、どうせ日本ではまた諸々揉めてなかなかサービスはスタートしないんだろう。

そんな状況だけど、ウチもそろそろテレビのHDMI端子にApple TVもしくはMac miniでも繋ぎたいなあという気分である。Time Capsuleと組み合わせて。

日曜日。テアトルタイムズスクエアでレンブラントの夜警。きっといやらしいシーンが満載で眠くないだろうと思ったのだが、それでもやっぱり眠かった。なんというか、全体がひどく散漫で集中出来ず、絵が素晴らしいのはわかるけど、結局何が言いたかったんだろう?という感じ。

タチコマ

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タチコマなんかレビューばっかり書いてるので、たまには写真でも載せてみよう。タチコマの1/24スケールのプラモデル(作成者:嫁)。テレビ台の上に置いている。とても和む。

投資戦略の発想法 2008 (2008)お金のことを考えようと思って読んでみた。おもしろかった。せつやくしなさいとか、投資で儲けようと考えるのはあほですとか、ちゃんと仕事をがんばりなさいとか。そういう最低限のことも出来ない人はとりあえずこんな本読んでる場合じゃないよと懇切丁寧に書いてあります。

老後のことなどを考えると、カラマーゾフの兄弟よろしく「いや、人生は長い、長過ぎるよ。出来ることなら縮めてしまいたいくらいだ。」などと言いたくなってしまうが、そうゆうわけにもいかなそうなのである。あと、こういう本を読むときは、ある意味小説のように楽しんで読まないと、ナイーブな人はちびってしまうような気もしないでもない。

鈴木先生

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鈴木先生 4 (4) (アクションコミックス)更新係が読め読めとうるさいもんだから、先週末に一気に4巻買って読んだ。そもそも俺は漫画を週刊で読む習慣がなくて、完結していない漫画を買う習慣もあまりなく、なぜかというと続きものだと次が気になって仕方ないからであり、でもまあそこまで勧めるのならと思って買いましたよ。ええ。

感想。すごいっす。以上。早く次が出てくれ。

(以下蛇足)
4巻の、砂場の授業での異様なまでの長広舌はカラマーゾフの兄弟でのイワンとアリョーシャの会話に相当する。ということは、次巻の鈴木先生の過去の話はゾシマ長老の過去の話に該当するのではないだろうか?2巻の表紙には「いや、人間の心は広大だ、広大過ぎるよ。出来ることなら縮めてしまいたいくらいだ。」というカラマーゾフからの引用があり、同時に小川の長靴に対して「た・・たまらな過ぎるぜー!」と萌える最高のシーンがある。まさにドストエフスキーの正統な嫡子と言っても過言ではない漫画と言える由縁である。違うと思うけど。

狼と豚と人間もう1週間前か。シネマヴェーラ渋谷で「狼と豚と人間」。これはある意味「仁義なき戦い」よりも衝撃的な作品だった。

三國連太郎、高倉健、北大路欣也が貧民窟に育った3兄弟。(余談だが、最近3兄弟モチーフのすべてがカラマーゾフの兄弟に思えてならない)若きの日の北大路欣也にびっくりしたが、更にびっくりしたのがその友達役の石橋蓮司。このいたいけな少年が後に立派なアブノーマル俳優に成長するとは。

「生き残りたきゃ他人を蹴落としてでも這い上がれ」という蜘蛛の糸的世界観と、あくまで「人間」であろうとする無垢な情熱が、現金強奪や拷問や悲鳴や銃声で猛烈に増幅される。その背景に、まるで書き割りのように置かれた貧民窟の住人たちの姿が印象的。うつろに立ちすくみ、貧しさから抜け出そうとする3兄弟の焦燥感もなく、ただ力なく石を投げつけるのみ。

そして多分、「レザボア・ドッグス」のご先祖様の一つですね。すごい。

仁義なき戦い先週の土曜日は「スティーヴィー」を含めて3本も映画を見たのだった。これは1本目。朝の11:00からシネマヴェーラ渋谷で「仁義なき戦い」。(特集:焦燥★70年代★深作欣二

恥ずかしながら、ちゃんと見たのはおそらく初めて。深夜のテレビとかで見たことあるかも?という程度。なるほどこいつはすげーなと思いながら、のめり込みつつ見た。

子どものころ、とにかくヤクザ映画が嫌いで仕方がなくて、その総本山とも言える「仁義なき戦い」は敵視していたのだと思う。暴力礼賛、死の賛美、恐ろしく落ち着きのない画面、悲惨なストーリー・・・それら全てが、なぜか逆にギンギンに響いてくるのは、僕がもう子どもじゃないからだろう。当たり前の話だが。

あと、暴力と死の影が全編を覆っていることを別にすれば、実は劇中で「抗争」として騒ぎ立てられる争いは、どんな組織や集団でも起こるパワーゲーム、離合集散のゲームであり、小学生から大人にいたるまで割と普遍的にみんなが経験することなんじゃないかなと思った。ただその「抗争」が結果として多くの登場人物のいのちを奪ってしまうという点が、現実に起こるパワーゲームと違っていて、その極端さに僕らは恐怖し、同時に喜ぶのだろうと思った。会社でもサークルでも、派閥が出来れば、それはすなわち「仁義なき戦い」の始まりなのだ。

スティーヴィー

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土曜日。シネセゾン渋谷で「進化する、映画×リアリティ。」特集。「スティーヴィー」を見る。

なんというか、上映後にじわじわと頭の中を占拠した、絶望とも祈りともとれる感情をなんと説明すればよいだろうか。上映前のトークショーで松江哲明監督が、結論がないドキュメンタリー/作り手が映画の中に映りこんできてしまうドキュメンタリーなのがいいんだ・・的なことを話していて、まさにその通りの傑作だと言うしかない。DVDにもなっていないのが残念である。(日本公開の為のブログ、スティーヴィー通信というページもある。またどこかで上映される機会があればいいなと思う)

これを見てしまうと、マイケル・ムーアもいいけどやっぱり本当の映画はこういう映画かなと思ってしまう。(マイケル・ムーアの映画は確かに「必要」だけどね)「スティーヴィー」という映画の中には告発すべき敵も、戦うべき相手も、ともに戦う同志もいない。あるのは、脆くて危うい、人間と人間の関係だけだ。時に冷たく/時に暖かく、遠くて/近い。その関係を映画に焼き付けることを、「僕は君を見せ物にしている」と語る監督の態度は、一貫して恐ろしいほどに冷徹で、かつ様々な覚悟に満ちている。

最後の方で、スティーヴィーの恋人のトーニャが「一人で生きていくのは嫌なの」というシーンがあって、激しく動揺してしまった。セリフでなく、かといって少し不自然な感じもしつつ、でもこの言葉には計測不能なほどの重みがあって、おそらくは撮影している監督もびっくりしたのではないか。スティーヴィーはクズだ。どうしようもない。救いようのないダメ人間だ。だけど、一緒に生きていたいと思う人がいる。

ジャーマン+雨

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ユーロスペースでジャーマン+雨

トラウマや悲劇という、「ドラマ」を作る為に必要な要素(創作のモチベーションとなるもの、と一般的には信じられているもの)が、破壊的なたて笛の音や、あらゆる共感を拒むかのような「うた」によって、ボコボコにされていく。そして何よりよし子という存在自体も、ボコボコにしてるんだかされてるんだかわからないままに生きていく。

そして、不思議な脇役たち。キム・ギドクの「サマリア」でもそう思ったのだが、主人公以外の登場人物のうち何人かは、本当は存在しないんじゃないか?と思ったりした。マキも、こどもたちも、ダンゴムシも、全てが彼女の想像上の人物なんじゃないかとすら思う。じゃあ対峙すべき「世界」なんてそもそもどこにあんの?という気さえしてしまった。自分が混乱の中にいれば、世界も混乱したままだんだ・・ということか。あと、よし子もマキも、子供らもダラーっとしてるシーンのサイケデリックというか、ひたすら停滞してる感じとか、ドッジボールとか、突如暴発するうたとか、色んなシーンが素晴らしかった。

ちなみに、なんか懐かしい感じのする風景だなと思っていたら、ロケ地は滋賀県でした。あの閉塞感が風景になってる感じは、なかなか出せる味じゃない。(と出身者は思う)

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)新書1冊をまるごと使って、「カラマーゾフの兄弟」の書かれなかった第二の小説を空想するという、前代未聞の本。亀山訳の全五巻を読み終わった直後の熱も冷めやらぬまま、一気に読了。

書かれなかった小説を妄想することにどれほどの意味があるのかはわからないが、この妄想はご飯が何杯でもいける程のおいしさと言ったら言い過ぎか。幻のジミヘン「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」やビーチ・ボーイズの「スマイル」が登場するグリンプス (創元SF文庫)という小説があったが、筆者はあのSFにも劣らぬ妄想力のたくましさで、アリョーシャやコーリャやリーズを、まるで蛇に足を描くがごとく語り始める。ほとんど「カラマーゾフ」トランス状態と言っていい。このトランス状態を共有するものだけがこの本を楽しめるだろう。セックス、金、暴力、神と悪魔、サドマゾ、社会主義と資本主義、生と死、父と子、テロリズム・・・最終的にはそれら全てがこの小説に入るはずだったのだ。

この中で何度も再びカラマーゾフの名シーンと出会うわけだが、中でもゾクッとくるのはリーザのこのシーンである。

いっぽうリーザは、アリョーシャが帰ると、すぐに、錠をはずし、ドアを少しだけ開いて、その隙間に指をはさみ、ドアをばんと閉めて、思いきり指をつぶした。十秒ほどして指を引きぬくと、彼女はしずかに、ゆっくりといつもの車椅子にもどり、背筋をぐいと伸ばしたまま、腰をおろし、黒ずんだ指と、爪の下からじわじわとにじみ出てくる血にじっと目を凝らしだした。唇が震えていた。彼女は早口に、すばやくつぶやいた。
「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい、いやらしい!」

これはやばい。いったいなんなんだドストエフスキーと亀山先生。

100円ビデオ

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そういえば、実家に帰った時に、その昔よく行った近所のレンタルビデオ屋で、100円でビデオが投げ売りされてたので、三池崇史「DEAD OR ALIVE~犯罪者~」とそのパート2、石井聰亙「水の中の八月」、ロバート・ロドリゲス「ロードレーサーズ」を買う。特にDOAは、その昔この映画を大晦日に見て年越しをしたくらい好きな映画である。ただでさえCDと本とDVDで溢れてしまった部屋に、この期に及んでVHSビデオを増やすなど正気とは思えないが、とりあえず勢いで買ってしまった。こういうことを改めないと、早晩この部屋はモノで埋まるだろう。所有することが重要なわけじゃなく、いつでも好きな時に見られればいいだけなので、データを大量におけるストレージと高速な回線があればいいだけじゃないか、と思う。

DEAD OR ALIVE~犯罪者~

石井聰亙作品集 DVD-BOX II ~PSYCHEDELIC YEARS~

僕の小規模な生活 1 (1) (モーニングKC)正月、実家で読む本がなくなったので、近所のショッピングセンターみたいなのに入ってる小規模な本屋で買った。あんな小さな本屋にこの本が置いてあるのが驚きだったのだが、それもそのはず、青林工藝舎じゃなくて講談社から出てる!つーかモーニングとかで連載してるのね、これ。

途中から「「「漫画を連載する自分」を描く漫画を連載する自分」を描く漫画を連載する自分」みたいな構造になるのがとっても面白いというか、騙されているような気分になる。インランド・エンパイアかよ、みたいな。

あと、正直に妬み嫉みが書かれているところもあれば、絶対に思ってていても書かれていないことがあって(編集者は全員後ろ向きで描かれ、彼らに対する感情はちょっとぼやっとしている)、その辺りも実に面白い。

とりあえずこの漫画からわかることは、いつももぐもぐなんかを食べている作者の妻はとってもかわいいということだ。

2008年最初に見た映画。線路と娼婦とサッカーボール

■私は、良いドキュメンタリーと悪いドキュメンタリーの違いは、(1)二元論に覆われた我々の日常を疑うものであると同時に、(2)二元論から逃れることの不可能性にも敏感なものだと思います。現に、私もここで、「良い/悪い」という二元論的図式を使ってしまっています。
■『線路と娼婦とサッカーボール』は二つの条件を満たしています。どこがどう満たしているのかを指摘する作業は皆さんにお任せしましょう。一つだけ申し上げたいのは、そうした二元論的な分別を乗り越えるモチーフとして、サッカーの荒唐無稽が持ち出されることです。
映画『娼婦と線路とサッカーボール』パンフレットに寄せて - MIYADAI.com Blog

この映画におけるサッカー(正確にはフットサル)は、直接的な闘争の道具ではもちろんなくて、闘争の支援者としてのジャーナリスト/マスコミに取り上げてもらう為の間接的な方便として選びとられている。だから正直なところ、ゲーム自体は何点とられて勝とうが負けようがどうでもいいはずなのだが、結局のところ彼女たちの喜びはサッカーのゲームの中にしか宿らず、決して現実へと繋がらない。「戦っている」という現実はマスコミを通してしか現実化せず、いつしか運動は飽きっぽいテレビや新聞の興味の減退とともに衰退していく。この映画すら、その「興味の減退」から逃れることは出来ない。

彼女たちの最大のライバルは警察のチームだっただろうか?かわいい女子高生のチームだったろうか?それすらよくわからない。彼女たちのキック力は素晴らしいものがあったが、シュートはたまにしか決まらなかった。敵はピッチの中にはいなかった。

だから、この映画のラストはとても悲しい。線路は続くよどこまでも、である。そして、そんな風景にサッカーボールはよく似合う。

なんと2007年見た映画68本目。大晦日に見た映画。カンナさん大成功です!。2006年の大晦日は「硫黄島からの手紙」でシメだったのだが、2007年はこれだった。(なんというう落差!)まあ、なんというか何も考えずに楽しむにはいいんじゃないでしょうか。主役のコはとってもかわいいし。整形ネタとともに音楽シーンが満載で、NANAとかを意識してるのかなという気がした。それはともかく、こういうエンターテインメントに徹した映画こそ、コワイ映画という典型例かもしれない。

2008年の正月

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なんだかまだ正月ぼけで何を書いたらいいのかわからない。

ほぼ去年の年末と同じコースとなった今年の年末年始。横浜で年越して、実家でダラダラ2泊するのみ。テレビを見るとか漫画を読むとか。一瞬だけ近所の寺廻り。

初詣は3日に京都で伏見稲荷大社。ものすごい人出だったが、本殿とかはかなり並ぶのでスルー。その代わりに暴飲暴食で膨らんだ腹を凹ませる為に、鳥居だらけの山を歩き回ってみた。筋肉痛になった。健康やら金銭やらその他ありとあらゆる欲望を願うことも忘れ、ひたすらに歩く。

東京に戻ってきて、やっぱり去年と同じく「ガキの使い」の録画見て、なんとなく終了。

以下、年末年始に見たテレビ。

  • M1グランプリ
  • すべらない話
  • 紅白歌合戦
  • ガキの使い・絶対に笑ってはいけない病院
  • やりすぎコージーの特番みたいなヤツ

お笑いばっかりやん。ちなみに「アホになります」ネタで最近出まくっている世界のナベアツことジャリズムの渡辺鐘は滋賀県出身。

もぐもぐと何か食べて、お酒飲んで、テレビを見続けて、時々はネット見て、そんなことをするだけで365日くらいあっという間に過ぎそうだ。やってみたいとは思わないけれど、なぜ自分はそんな生活を望まないのか、は考えてみたいような気がする。

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