線路と娼婦とサッカーボール

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2008年最初に見た映画。線路と娼婦とサッカーボール

■私は、良いドキュメンタリーと悪いドキュメンタリーの違いは、(1)二元論に覆われた我々の日常を疑うものであると同時に、(2)二元論から逃れることの不可能性にも敏感なものだと思います。現に、私もここで、「良い/悪い」という二元論的図式を使ってしまっています。
■『線路と娼婦とサッカーボール』は二つの条件を満たしています。どこがどう満たしているのかを指摘する作業は皆さんにお任せしましょう。一つだけ申し上げたいのは、そうした二元論的な分別を乗り越えるモチーフとして、サッカーの荒唐無稽が持ち出されることです。
映画『娼婦と線路とサッカーボール』パンフレットに寄せて - MIYADAI.com Blog

この映画におけるサッカー(正確にはフットサル)は、直接的な闘争の道具ではもちろんなくて、闘争の支援者としてのジャーナリスト/マスコミに取り上げてもらう為の間接的な方便として選びとられている。だから正直なところ、ゲーム自体は何点とられて勝とうが負けようがどうでもいいはずなのだが、結局のところ彼女たちの喜びはサッカーのゲームの中にしか宿らず、決して現実へと繋がらない。「戦っている」という現実はマスコミを通してしか現実化せず、いつしか運動は飽きっぽいテレビや新聞の興味の減退とともに衰退していく。この映画すら、その「興味の減退」から逃れることは出来ない。

彼女たちの最大のライバルは警察のチームだっただろうか?かわいい女子高生のチームだったろうか?それすらよくわからない。彼女たちのキック力は素晴らしいものがあったが、シュートはたまにしか決まらなかった。敵はピッチの中にはいなかった。

だから、この映画のラストはとても悲しい。線路は続くよどこまでも、である。そして、そんな風景にサッカーボールはよく似合う。

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このページは、biwacovicが2008年1月 6日 11:11に書いたブログ記事です。

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