スティーヴィー
土曜日。シネセゾン渋谷で「進化する、映画×リアリティ。」特集。「スティーヴィー」を見る。
なんというか、上映後にじわじわと頭の中を占拠した、絶望とも祈りともとれる感情をなんと説明すればよいだろうか。上映前のトークショーで松江哲明監督が、結論がないドキュメンタリー/作り手が映画の中に映りこんできてしまうドキュメンタリーなのがいいんだ・・的なことを話していて、まさにその通りの傑作だと言うしかない。DVDにもなっていないのが残念である。(日本公開の為のブログ、スティーヴィー通信というページもある。またどこかで上映される機会があればいいなと思う)
これを見てしまうと、マイケル・ムーアもいいけどやっぱり本当の映画はこういう映画かなと思ってしまう。(マイケル・ムーアの映画は確かに「必要」だけどね)「スティーヴィー」という映画の中には告発すべき敵も、戦うべき相手も、ともに戦う同志もいない。あるのは、脆くて危うい、人間と人間の関係だけだ。時に冷たく/時に暖かく、遠くて/近い。その関係を映画に焼き付けることを、「僕は君を見せ物にしている」と語る監督の態度は、一貫して恐ろしいほどに冷徹で、かつ様々な覚悟に満ちている。
最後の方で、スティーヴィーの恋人のトーニャが「一人で生きていくのは嫌なの」というシーンがあって、激しく動揺してしまった。セリフでなく、かといって少し不自然な感じもしつつ、でもこの言葉には計測不能なほどの重みがあって、おそらくは撮影している監督もびっくりしたのではないか。スティーヴィーはクズだ。どうしようもない。救いようのないダメ人間だ。だけど、一緒に生きていたいと思う人がいる。
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