book: 2008年1月アーカイブ
更新係が読め読めとうるさいもんだから、先週末に一気に4巻買って読んだ。そもそも俺は漫画を週刊で読む習慣がなくて、完結していない漫画を買う習慣もあまりなく、なぜかというと続きものだと次が気になって仕方ないからであり、でもまあそこまで勧めるのならと思って買いましたよ。ええ。
感想。すごいっす。以上。早く次が出てくれ。
(以下蛇足)
4巻の、砂場の授業での異様なまでの長広舌はカラマーゾフの兄弟でのイワンとアリョーシャの会話に相当する。ということは、次巻の鈴木先生の過去の話はゾシマ長老の過去の話に該当するのではないだろうか?2巻の表紙には「いや、人間の心は広大だ、広大過ぎるよ。出来ることなら縮めてしまいたいくらいだ。」というカラマーゾフからの引用があり、同時に小川の長靴に対して「た・・たまらな過ぎるぜー!」と萌える最高のシーンがある。まさにドストエフスキーの正統な嫡子と言っても過言ではない漫画と言える由縁である。違うと思うけど。
新書1冊をまるごと使って、「カラマーゾフの兄弟」の書かれなかった第二の小説を空想するという、前代未聞の本。亀山訳の全五巻を読み終わった直後の熱も冷めやらぬまま、一気に読了。
書かれなかった小説を妄想することにどれほどの意味があるのかはわからないが、この妄想はご飯が何杯でもいける程のおいしさと言ったら言い過ぎか。幻のジミヘン「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」やビーチ・ボーイズの「スマイル」が登場するグリンプス (創元SF文庫)という小説があったが、筆者はあのSFにも劣らぬ妄想力のたくましさで、アリョーシャやコーリャやリーズを、まるで蛇に足を描くがごとく語り始める。ほとんど「カラマーゾフ」トランス状態と言っていい。このトランス状態を共有するものだけがこの本を楽しめるだろう。セックス、金、暴力、神と悪魔、サドマゾ、社会主義と資本主義、生と死、父と子、テロリズム・・・最終的にはそれら全てがこの小説に入るはずだったのだ。
この中で何度も再びカラマーゾフの名シーンと出会うわけだが、中でもゾクッとくるのはリーザのこのシーンである。
いっぽうリーザは、アリョーシャが帰ると、すぐに、錠をはずし、ドアを少しだけ開いて、その隙間に指をはさみ、ドアをばんと閉めて、思いきり指をつぶした。十秒ほどして指を引きぬくと、彼女はしずかに、ゆっくりといつもの車椅子にもどり、背筋をぐいと伸ばしたまま、腰をおろし、黒ずんだ指と、爪の下からじわじわとにじみ出てくる血にじっと目を凝らしだした。唇が震えていた。彼女は早口に、すばやくつぶやいた。
「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい、いやらしい!」
これはやばい。いったいなんなんだドストエフスキーと亀山先生。
正月、実家で読む本がなくなったので、近所のショッピングセンターみたいなのに入ってる小規模な本屋で買った。あんな小さな本屋にこの本が置いてあるのが驚きだったのだが、それもそのはず、青林工藝舎じゃなくて講談社から出てる!つーかモーニングとかで連載してるのね、これ。
途中から「「「漫画を連載する自分」を描く漫画を連載する自分」を描く漫画を連載する自分」みたいな構造になるのがとっても面白いというか、騙されているような気分になる。インランド・エンパイアかよ、みたいな。
あと、正直に妬み嫉みが書かれているところもあれば、絶対に思ってていても書かれていないことがあって(編集者は全員後ろ向きで描かれ、彼らに対する感情はちょっとぼやっとしている)、その辺りも実に面白い。
とりあえずこの漫画からわかることは、いつももぐもぐなんかを食べている作者の妻はとってもかわいいということだ。


