cinema: 2008年3月アーカイブ
ユーロスペースで接吻。
各所で話題となっているので見に行ったのだが、確かに凄かった。みなさん見てください。小池栄子というだけで見る気がしなかったのが大間違いでした。
犯罪者と、それに自分を重ねる主人公という構図には「カポーティ」に近いものを感じるのだけど、カポーティはあくまで「彼」を3人称として記述することに徹しようとするのに対して、この映画での京子は「わたしは」「あなたは」・・・という強烈な1人称/2人称でもって、強引に「わたし」と「あなた」の世界を構築しようとする。
これは殺人者(豊川悦司)が担う役割をロックスターとか映画俳優とかアイドル、サッカーチームなどに変えてみてもいいし、その場合の小池栄子はこの世に存在する多くの(もちろん私やあなたを含む)誰か(何か)に共感/感情移入することで孤独を癒そうとする人々をカリカチュアライズした姿である。「あなた」に出会うことで「わたし」に意味が生まれたというのは、都合のよい人生の誤読以外の何ものでもないが、そうすることでしか埋まらないものが確かにある。(おそらく古くは宗教がそういった役割を担っていたのかもしれないが)
新聞の切り抜きをノートに貼るシーンがすごくいい。ノートに書き込まれた文字の丁寧さが素晴らしい。彼女にとって、あのノートはおそらく夢を繋ぎ止める何かの代替物である。それがいつか実在のものになるなんて、それだけでものすごいファンタジーだと思う。
今年のアカデミー作品賞、コーエン兄弟のノーカントリー。
コーエン兄弟は藤子不二雄みたいなもんで、藤子・F・不二雄(未来は今、ビッグ・リボウスキ、オー・ブラザーみたいなコメディ系)と藤子 不二雄A(ブラッド・シンプル、ファーゴ、ミラーズ・クロッシングのようなシリアス、スリラー系)の2系統があって、どっちかがジョエルでどっちがイーサンなんじゃないかと勝手に思っている。まあ勝手な憶測ですが。
そしてこの「ノーカントリー」は完全に後者。コメディ風味は少なく、音楽もほとんどなく、ひたすらに緊張感が続く。こんなに集中して見る映画もないだろうというぐらい集中した。追跡劇に徹していて、そこはとっても面白い。ただし、この映画は通常の追跡劇的な終結を断固として拒否する。終わった後に、頭の中で生まれる「?」の数々。カタルシスはゼロ、涙もゼロ、共感もゼロ、喜びも怒りも哀しみも笑いもない。あるのは恐怖・おかっぱのオッサンの悪夢と、トミー・リー・ジョーンズの困ったような表情だけだ。
正直、見終わった直後はなんでこんなに評判いいのかよくわからなかったし、ファーゴの方が良かったんじゃないかとも思ったが、じわじわと悪夢のように心を浸食しているのか、明け方頃に突然目が覚めて、「ああ、あのシーンはそういう意味だったのか・・」と気付いたりして、なんとも厄介な映画のようである。そしてこの、すっきりしない感じ、わからない感じ、もやもやした感じ、見た人に勝手に解釈させる感じこそが、この映画の狙いなのは確かで、わかりやすい答えなど与えてくれる気配がない。
(以下は映画を見た人だけ)
これはBSでやってたのを録画して見た。2003年のアカデミー賞ではショーン・ペンが主演男優賞。イーストウッドは監督賞は受賞ならず。
クリント・イーストウッドすげえというのが感想。圧倒的に、真正面から、堂々と「映画」。ショーン・ペン、ケビン・ベーコン、ティム・ロビンスの演技合戦にもやられるし、音楽もいいし、欠点と言えば物語に破綻がないことぐらいだろうか。「許されざる者」と同じく、暴力をカタルシスのための手段ではなく、何か得体の知れない人間の感情の結果として描くことに成功している。人は人を殺すことが出来るということを教える映画であり、こういう映画こそ子供には見せちゃいけないのではないだろうか?(いやしかし、むしろ子供こそ見るべきなのかもしれない。)
「ラスト、コーション」の衝撃(?)冷めやらぬまま、DVDでアン・リーの「ブロークバック・マウンテン」を見た。まあ・・・悪くはないけど、衝撃みたいなものはない映画でした。
この作品の描く「愛の物語」は、同性愛ということを除けば極めて普通のありふれた物語でしかない。過去の愛は、決して現実にならないことで、美化され、郷愁の対象となり、辛い現実から逃げるための道具に成り果てる。その成り果て具合の描写が容赦無くて、そこはいいなと思うんだけど、20年の歳月を同一人物が演じる(しかも髭とか無理矢理お腹膨らませたりして老化を演出)のは、NHKの大河ドラマみたいで笑ってしまう。
映画というのは基本的には現実逃避でもあるから、この二人の「愛」がいかに逃避的であろうとも、それに共感し涙する人は多いだろう。しかしその愛は「成就しないこと」によって支えられているので、悲劇としてしか存在し得ないし、あまりに映画の設定として普通過ぎるなあ・・と。これを見る前に「ラスト、コーション」を見たのがまずかったかな?
ラストに流れる、ディランの"He Was A Friend Of Mine"。Cat Powerがカバーしてるのがあった。
我ながら映画見過ぎだと思うのだけど、ル・シネマにてラスト、コーション。
これ、まともに書き始めるときりがなくなってしまいそうなので簡単にメモ。
セックスシーンは確かに長いし、ぼかしもあるし、バリエーションも豊富だが、この1週間ピンク映画に慣れてしまった目には、あまり普通。でもたくさんの老齢の方が見に来ているのは、みんなやっぱりああゆうのが見たいのかな?と思った。
ちょっと前のevery japanese woman cooks her own curryに「話が全く一緒んの「ブラックブック」は偉かった。」と書かれていたのを読んでいたので、どうしても比較してしまった。
確かにブラックブックと状況は似ている。だけどやっぱり違うのは、ブラックブックには明確な理由があるのに対して、この映画では理由がはっきりしないことだ。それを「ロマンに逃げてる」とは僕は思わなくって、おそらくそれはロマンでもセックスでもなくて、他にやることがなかったからなのかなあと思うのだ。某マイミク氏の日記には「退屈」という解釈があって、まさにそうなのかもしれないと思った。だから彼女は映画館の暗闇を好み、演技を好み、嘘の中でしか本当を感じられない男と、魂で繋がってしまう。
人間ヒマだとロクなことがない。生きるか死ぬかの戦争の最中でも、いやそんな状況だからこそか、人は「生きている」ということを確かめるために命をかけてしまったりするのだろうか。たぶんそれはどれだけセックスをしても、自分が一体何者なのかわからなかったから起こる悲劇なのだろう。
贅沢な話だが、明確な「理由」がある人にはわからない複雑さが世の中にはあって、それを物語にしてみるとこんな映画になっちゃったのだと思いたい。3時間近くこの世界を彷徨い、物語が終わった後に思うことは、結局遊び過ぎた人は罰せられるのだな、ということ。(えー、マジで)人間はおそらく有史以来そんなことを繰返していて、それでもなお遊びたいと強く思っているみたいだ。
カンヌでグランプリをとった4ヶ月、3週と2日。銀座テアトルシネマ。
そういえば土曜日のFC東京は4-3-2-1というフォーメーションだったなあと思ったが、映画とは何の関係もない。
ドグマ映画のようにひたすら手持ちカメラが主人公と寄り添うように移動する。118分間ずっと緊張感が持続するので、まったく退屈しなかった。ただし、面白い映画かというと違うし、いかにもひねくれた批評家が好きそうな感じではある。印象に残るのは、じんわりとした焦燥や、どよーんとした憂鬱と、それでも「決めたからにはやらなければいけない」しんどい感じ。そういう意味では、ある一日の体験を118分で描き、見るものにそれを体験させることには成功している。まさに80年代ルーマニアに2時間だけ移動した感じになる。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
つまらないあたしのどうでもいい物語(成人館公開題:奴隷)。
全ての人間関係は、極端に戯画化するとSM的関係へ行き着く。蒲田行進曲の銀ちゃんとヤスのごとく、その関係性は周囲から見れば奇異の極みであったとしても、そこに信頼があり絆のようなものがあったりする。
信頼も絆も、そのことを語る行為によってしか確かめることが出来ない。だからこの映画の「つまらないあたし」が「どうでもいい物語」を語るという構図こそが、ついに「わたしはつまらなくない」し、「この人生はどうでもよくない」と思えるところへ行き着く為の手段になっているのだ。ラストカットはあまりにも美しくてびっくりする。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
笑い虫(成人館公開題:色情団地妻 ダブル失神)。
これは・・・ちょっと息がつまって、癒されるというよりも溜息しか出て来ないような、行き詰まりどころか行き止まり感いっぱいの夫婦の物語。プロレスのシーンがもっと激しく物語にオーバーラップしてきたら少しは笑えて、救われたかもしれないんだけど、どうにも重さばかりが後に残る。まあ、それでも生きていくんだよ!と前向きにとらえればいいのかもしれないけど、なんだか燃え盛る車のシーンが強烈な救いの無さを象徴している。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
微風(かすかぜ)(成人館公開題:誘惑 あたしを食べて)。
ピンク映画界のアイドル、吉沢明歩による正しいアイドル映画。湘南ロケもいい感じで、かわいいんだけど無力感で一杯の主人公というのも正しいアイドル映画のような気がする。好きな人の奥さんは死んでしまっていて、あらかじめ失われている彼女に勝てるわけもなく、そこに異物としてピストルやら女友達やら恋人の浮気やらが飛び込んでくる。正統派のドラマ。これで1時間ぽっきりで爽やかな後味。「自分、・・っす」「・・っすから」という言葉使いに萌える人も多いことだろう。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
ヒロ子とヒロシ(成人館公開題:痴漢電車 びんかん指先案内人)。
2007年ピンク映画大賞受賞作。映画の前に松江哲明(ドキュメンタリー監督)×直井卓俊(プロデューサー) ミニトークショーがあって、俺は去年から松江監督のトークショー見るのもう3回目(童貞、スティーヴィー、そして今回)だぞ、どんだけ見てんだと自問したが、まあ今回のトークは熱くて面白かったですね。痴漢ものということもあって「それでもボクはやってない」との比較論=映画論にまで行っちゃうのが。正論と「映画」は違う。まさに。
「ヒロ子とヒロシ」には出口の無いどんづまりの停滞がシンメトリーで描かれ、そこからの癒し(電車内)、そして希望と救済が出現する。ああ良かったな・・と見ているものは思う。こんなファンタジーあったらいいなと思わせる。ただ線路を挟んで、二人は出会わずに、互いに目を合わせる・・というところは単なるファンタジーではなく現実に近い手触りで、そこは「映画」に救われたりする観客たちと、映画という暗闇の中の関係性に似ているな・・と思った。彼や彼女たちは、既に出会っているのにそのことに気付いていないのだ。それはありふれた風景で、ヒロ子やヒロシはあなたであり、私である。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
再会迷宮(成人館公開題:不倫同窓会 しざかり熟女)。
前回の特集でもあった竹洞哲也監督作品で、いわゆる「竹洞組」の作品。これはもう30代にはぐっとくる内容で、しかも重くなりすぎないようにオカマのママとか、鷹匠とかのバカバカしい笑いがあるので最後まで楽しんで見ることが出来た。長野ロケで一瞬上田駅前が映る。朝まで飲んじゃった後のダルい移動のシーンがいい。
主人公は何もしない。不倫もしない。恋もしない。ぼーっとしてるだけである。でも最後にとってもいい感じになる。この都合の良さはなんだろうと思うが、その都合の良さが映画だと言ってしまえばそれまでなのである。ピンク映画を見ていると、そういう原点に気付かされることが多い。
という訳で誰に頼まれたわけでもないのに今回の全作品について触れてみた。我ながら真面目に見ているなあと呆れるばかりだが、仕方ないのである。4月にはもうvol.5があるので、すみませんがまた見に行くと思います!諦めろ。
「おそいひと」を見た。先週ポレポレ東中野にて。19:00の回は爆音上映。この日はレイトショーのピンクも見たから、4時間以上ポレポレの中にいたことになる。大学生かよ俺。
狂気あふれる映像と音楽。鉄男とかを思い出した。爆音上映でよかったと思う。映画館で閉込められながら見るべき映画だろう。DVDだときっとつまらない。大阪アンダーグラウンドをパッケージするとこんな感じなんだろうか?酔う人は酔うはず。world's end girlfriendの音楽が素晴らしい。
「障害者をこういう風に描くことに対して批判がある」、ということに対しての批判としてこの映画を肯定的にとらえることにはあまり意味が無い。体験したい人は体験してみればいいという感じで、僕はあんまり騒ぐ気にはなれない。
予告編。
ポレポレ東中野でR18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4。
もう第4弾のこの企画。回を追うごとにお客さんも(あと女性客も)増えてるような気がするし、自分の中でもハズレなしを実感してきているので、今回も東中野に通っている。住んでた頃より離れてからの方がこの映画館に行ってるかも。日曜日、火曜日ときて明日も見に行こうと思っている。これで今回は全作品制覇。癒される、と言うと変な感じだが、ピンク映画を見ているとなんか安心するのである。なぜだろうか?
ル・シネマでトゥヤーの結婚。
いつもル・シネマはお金持ちそうなおばちゃんの客が多い。この日も沢山のおばちゃんたちが、凛としたトゥヤーと、彼女に求婚するダメ男たちを見て笑い声をあげていた。終わった後は「いい映画だったわねえ」なんつって。きっとこのノリで、隣でかかっている「ラスト、コーション」とかも見ちゃうんだろうな。「いやらしかったわねえ、おほほ」って。(ラスト、コーションは俺も近いうちに見に行きますけどね)
「女性にとっての結婚とは?」というテーマを、おそらく東京やらニューヨークやらパリやらを舞台にした場合、この映画とは似ても似つかないものになるだろうな・・と思いながら見た。内モンゴルの砂漠化した風景の中で語られる結婚は、文字通り「生きのびるため」であり、そこに「私の夫も一緒に養ってくれる結婚相手募集!」となることで、よりその本質が奇妙な形であらわになる。聡明なトゥヤーが流す涙は、悲劇ではないと思うことが出来れば、(東京やらニューヨークやらパリやらの)多くの人は救われるだろう。だけどそう簡単に思い込むことが出来ないから、こういう映画が必要とされるのだ。
先日アカデミー賞のドキュメンタリー賞を受賞した「闇」へがNHKで再放送。たった今見終わったところ。むう、ずっしりと重い。
シネマライズで「潜水服は蝶の夢を見る」。
「涙きらめく、愛の感動作」などというコピーにはまず拒否反応の人も、これは騙されたと思って見た方がいい。涙きらめく暇もない、がそれでも感動作ではある。
あと、「ELLE編集長で人生を謳歌していた男が、ある日難病の閉込め(ロックトイン・シンドローム)症候群になってしまい、左目以外全ての身体的自由を全て奪われた状態になってしまう・・・」という物語性すら実はどうでもいいのかもしれない。そのくらいこの映画はある1点のみに全てを賭けた映画であり、それは見事に成功している。

