cinema: 2008年4月アーカイブ
ポール・トーマス・アンダーソンは天才だとよくわかった。今までの長編全て面白かったが、今回の作品も恐ろしいほどの映画だ。アカデミー作品賞は「ノーカントリー」だったが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の迫力とは比べ物にならない。いや、「ノーカントリー」は面白い。ただしあれは洗練されていて洒落ていて、見たものに解釈を委ねる優雅さがある。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」にはもっと獰猛で暴力的で、不吉な何かがあって、物語がもつ力に満ちているような気がするのだ。
「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.5」人のデビュー作を笑うな。
『彗星まち』 (成人館公開題:獣たちの性宴 イクときいっしょ)
1995|カラー|63分|16mm
監督・脚本: 今岡信治
金曜日。R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.5の最終日。ほぼ満員だった。今回は結局4作品しか見ることが出来なかった。(あ、「押入れ」は昔ケーブルテレビでやってたのを見たことがある。いい映画でした。)
500回もセックスしたのによお・・・とブツブツ文句をいいながら、彼女をオッサンに奪われてラリラリの主人公と、かわいい不思議ちゃんと、元彼女と、彼女を奪った借金まみれのオッサン・・全員がぼっーっと日々を生きている。岡崎京子の「リバーズ・エッジ」をまんまパクったモチーフが登場するんだけど、そこにはウィリアム・ギブソンを引用して「平坦な戦場」などと名付けて、日常を「生き延びるための場所」として定義することすら出来ない、本当の行き止まり感が溢れていた。
「彗星を来るのを待つ」に意味はないが、意味がないからいいのだ・・というのが多分90年代的?なのかしら。閉塞、焦燥、諦観、セックスすら気持ち良さそうでもない・・・ただし、この映画にはそこから1歩でも跳躍しようとするジタバタした感じは確かに存在する。それがおそらく水辺での「火(火葬、自爆)」であり、「パパンガパン」なのだろう。(そうかあ?)
いまおかしんじ監督30歳のデビュー作。舞台挨拶で「撮影時、主演の二人の女性のどっちかを好きにならなきゃいけないと思って悩んだ」そうで、なんつーか、バカバカしくていいなあと思う。
「週刊真木よう子」を毎回見てる。
最初の2回はいやらしくてよかった。第3回もふざけててよかった。
で、第4回はいましろたかし原作、山下敦弘監督の「中野の友人」。すばらしかったです。ラストシーンとか30分のテレビドラマなのに泣きそうになったもん。原作読み返してみたら、セリフらしいセリフが全くない漫画で、ナレーションと岡田と女の子の表情だけで成立してる。ドラマの脚本もその感じをうまく表現してて、セリフはほとんど背景のようになってる。「人生ギリギリのところにいて」「負け続けてる」岡田の笑顔にやられる。
原作だと、ブロードウェイ出たところの早稲田通りと中野通りの交差点がラストシーンなんだけど、ドラマではサンプラザ前になってましたね。
「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.5」人のデビュー作を笑うな。
『1・3』(成人館公開題:セックス・フレンド 濡れざかり)
1999|カラー|65分|35mm ※英語字幕付
監督:坂本礼
タイトル、なんて読むかと思っていたらワン・スリーだった。英語タイトルは3balls 1Strike。野球の映画だったのか。
思い出したのは、北野武の3-4x10月とか、キッズ・リターンとか。
途中から、ああそういう話か・・と思いながら見るんだけど、それでもやっぱり最後は爽やな印象が残る青春映画。舞台挨拶で監督はしきりにこの作品を卑下してたけど、やっぱり「デビュー作」ってのは特別な感じがして、見る側もなんだか新鮮な感じで見ることが出来る。(つまりジョン・アーヴィングで言うと「熊を放つ」だということ)
「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.5」人のデビュー作を笑うな。
『ゆーのーみー』 (成人館公開題: おんなたち 淫画)
2007|カラー|64分|35mm
監督:大西裕
とても面白かった。二人の女優がそれぞれにかわいらしくて、なぜかそんな二人にモテる吉岡睦雄演じる主人公の情けなさというかぼーっとした感じがよくて、細部にはニルヴァーナのTシャツとか、8 1/2とか、神代辰巳とかが溢れていて、いいなあと思っていたら、途中からはデヴィット・リンチというか、妄想と現実を遠慮なく横断する展開になってびっくりした。かっこいいじゃないですか。A DAY IN THE LIFEみたいな構成(=普通のパートからコラージュ的展開へ)とは監督の弁だが、確かにそう言われればそう思える。笑うどころか、実に立派なデビュー作という感じで、こういう作品を作るのは大変だけど楽しいだろうなと思ったりした。(映画を作ろうと思ったことなんて一回もないんだけど)
予告編@YouTube
「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.5」人のデビュー作を笑うな。
毎度おなじみのポレポレ東中野通い。今回は仕事が忙しかったり飲み会が続いたりで、あんまり見に行けていない。残念。
『最後の弾丸』 (成人館公開題: 監禁 ワイセツな前戯)
1989|カラー|59分|35mm
監督・脚本:佐野和宏
ピンク映画版の"タクシードライバー"かと思うような、日常/暴力/飛躍/現実・・・。ピンク映画で監督兼主演というのは初めて見たが、佐野和宏監督はカッコ良くて、舞台挨拶にも登場したんだけど、歳をとっても痩せたままで、ああ俳優というのはすごいなと思ったが、そういえばクリント・イーストウッドもこんな感じだ。
Spotted 701 vol.5には佐野監督の言葉として「俺はもう、イーストウッドとニール・ヤングしか信じない。」というのが載っていた。こういうことを言うオッサンになってみたい。
日曜日。テアトル新宿で実録・連合赤軍 あさま山荘への道程。やっと見に行くことが出来た。
190分。釘付けになるとはこのことか。機会があればもう1回見に行こうかと思うくらい引き込まれてしまった。もう1時間くらいあっても良かったとさえ思う。
「映画に文法はない。志さえあれば、映画は撮れる」
若松監督の言葉だが、なかなか言える言葉ではない。文法はあるし、志だけで撮られた映画は多くの場合失敗する。ただ、この映画を見た後には、その気迫に頷くしかないと思った。間違ったり、偏ったりすることを恐れていたら、何も語ることは出来ない。いや、語ることで初めてその「志」なるものが生まれるのではないか?
「光の雨」も同じく連合赤軍の映画だが、あの映画は「連合赤軍事件を映画化する若者たち」という劇中劇の構図をとっており、「事件」との距離感について極めて慎重な立場をとっていた。(映画としてはよく出来ていたし、何よりも裕木奈江演じる永田洋子は凄かった。)
だからこそ、若松映画の小細工の無さ、恐れの無さが際立って見える。誤解されることを恐れずに撮られた映画であるし、同時に決して人を裁くことのない映画である。人を裁くとき、同時に私は自分を裁かなければならない。この映画にはその覚悟があり、また同時に客観性の鎧を脱ぎ捨てた潔さがある。
銃撃の訓練をバーンバーンと口で言いながらやるシーンで、笑っちゃいけないんだけどちょっと笑いそうになる遠山美枝子のシーンがいい。水筒事件も、銭湯入っちゃうのも、ビスケット食っちゃうのも、嫉妬するのも、セックスしちゃうのも、何もかもが笑える出来事だ。道に迷い続けたあげく、よくわからないところで落ち着いちゃったりするのが人生だが、この若者たちには人生を、他人はもちろん滑稽極まりない自分を笑うことすら出来なかった。
多くの人が触れているが、山荘の中のシーンで、その外界が描かれることはただの一瞬もない。そこには架空的クライマックスとしての「銃による殲滅戦」の薄っぺらさ、切なさが織り込まれ、あたかもその当時の日本が見た集合的白日夢のような印象すら与える。
ラストに一言だけ(おそらくは事実ではない)加藤兄弟の末弟の台詞が響き渡るが、あの言葉を表面的に受け取ることは出来なかった。台詞だけで解釈すれば陳腐とも言える結論が、あの長く陰惨な物語の末尾に置かれることに、それこそ総括的な意味はない。ただ、人間は何かの言葉を絞り出さずには世界を語ることが出来ない存在なのだ。語り得ないものを語ろうとすること。それが悲痛な叫びになったり、このような映画になったりするのではないだろうか?
パンフなどという甘いものはない。1470円のこの厚い/熱い本を読むしかない。当然買いました。

あとはジム・オルークの音楽がとっても良かったのでサントラを買いたかったのだが、どうやらそんなものは出ていないようだ。
"picture of adolf again"のビデオ発見。
http://www.dailymotion.com/video/x4m4cd_jim-orourkepictures-of-adolf-again_music
予告編。
日曜日の夜のシネマライズとかル・シネマは1000円で映画が見られるので結構行っている。先週の日曜はシネマライズでCONTROL。またモノマネ系映画だ。この後はディランのモノマネやウォーホルのモノマネが控えている。
イアン・カーティスの痙攣したような歌い方を完コピするサム・ライリーには参ったし、サマンサ・モートンのぱんぱんにふくれあがったジーパン姿にも戦慄した。あれが多分「日常」という恐怖のかたち。
Joy Divisionというのが、抑揚のないメロディーと、機械が作るビートを無理矢理人間がコピーしたようなリズムと、下手過ぎる演奏と、そして何よりイアン・カーティスの存在で出来ていたことがよくわかる。バーニーとかフッキーや、最近故人となったトニー・ウィルソンは"24 HOUR PARTY PEOPLE"に続いて、またもや映画で自分を演じられたことになる。つまりこの映画はよく出来た再現ビデオである。日常とロックと愛人と成功。よくある話のようで、でもそれが死に至るのは滅多にない(と思う)。
あとエンドロールの"Shadowplay"がThe Killersの演奏なのはクソだと思うのは僕だけだろうか。
テレビ初登場のシーンはまさにこの映像そのもの。
"Transmission"が最高にかっこいい。




