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FOOTBALL OR DIE No.6 |
| ハローエブリバディナイスチュミーチュー |
| 文/ビワコビッチ(1998.3.17) |
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いよいよJリーグが開幕する。今は日本代表が人気で、中田や城が女性週刊誌の表紙になったりしているが、所詮あんなのは長野オリンピックで活躍した選手(原田とか)がもてはやされているのと変わりがない。別のいい感じのアスリートがでてくればあっという間にとって変わられるだろう。つまりJリーグはあい変わらず人気がない。横浜国際でのフリューゲルス-マリノスの開幕戦はチケットがあまり売れず、ただで配ってるという噂もある。ユニフォームのスポンサーも何社かが撤退するらしいが、新規参入するという話は聞かない。順調な一部のチームを除けば、おそらく今年もJのクラブを取り巻く現状は厳しい。ワールドカップでサッカーが話題にはなるだろうが、それが普段の観客動員に結びつくかは疑問だ。 しかしここで僕は超楽観論を提示したいと思う。今年を契機にサッカーがいよいよこの国でも根付き始めるのではないかと思うのだ。理由を簡単にまとめてみる。
そんななか最も大きな影響と責任を持っているのが報道であるはずだ。「メディアとは」という論はさけたいが、おそらく無視しているわけにもいかないだろう。こぐまレコードだってミクロだけどメディアのはしくれである。一体サッカーはどうのように伝えられねばならないのだろうか?僕たちは選手達のプレー以外に何をメディアに求めているのだろうか? ものすごく乱暴に言ってしまえば、僕たちが他人の言葉でわざわざ聞きたいのは、その記述者と対象物の間にある関係性についてである。記述者がサッカーをどのような言葉で語るのかが重要であって、語られる中味はさして重要ではないのだ。つまりサッカーについて語る人は、そのモノ自体を語ろうとしてはいけない。サッカーの本体は競技場の中にしかないし、どんなインタビューも写真も、競技場にあった全てを表現することは出来ない。僕らはそれを補足する形でなにかを語ることは出来るが、あったこと全てを記述するのは不可能なのだ。ましてやヒーローを無理やりでっちあげて物語の中心に据えようなどとするのは愚かな行為でしかない。 だから本当は、ナンバーのような雑誌には、「中田、前園対談」みたいなことはやって欲しくなかった。選手達の言葉に興味が無いわけではないが、それを中心にして紙面を作ってしまうのは何かスポーツ新聞のようで悲しい。本当に聞きたいのは、色々な人々のみたサッカーというゲームについてであり、やっている選手の気持ちではないのだ。そうやって語られたものから、僕たちは自分の言葉でサッカーを記述することが出来るように(別に実際に書かなくてもいいけど)なりたいのだ。いったいあの、胸がたかなるような感じは何なのか、自分で解き明かす手掛かりとしたいのだ。 そしていまの日本のメディアには、残念ながらそのような形でサッカーを言葉にしてくれる人が圧倒的に少ない。シンプルで、力強く、時には華麗に。そんなふうにサッカーもそれを取り巻く言葉もあってくれればよいと思う。 1998年。世界の扉はついに開かれた。あの自分たちとは関係のなかったような金色のフィールドに、日本代表の青いユニフォームが降り立つのだ。世界の多くの人は日本にもフットボールがあることをまだよく知らない。 コンピュータのプログラミングをかじったことのある人なら、最初の教育でこんな言葉を表示させるプログラムを作ったことだろう。 ”HELLO WORLD!” ただそれだけの言葉である。しかしその単純な文字列はその後につづく複雑で難解な道の出発点なのだ。それだけでいい。その言葉をフランスで青いユニフォームを着た選手達が発することができれば、きっと今年はいい年になるのだ。
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