FOOTBALL OR DIE
No.8
 無能の人、あるいはたった一つの冴えたやり方
文/ビワコビッチ(1998.4.22)

 「ストレスの解消」という言葉が嫌いだ。部屋でデカイ音で音楽が聴けない、ギターが弾けない、と愚痴っていたら「ストレス解消にはデカイ音で音楽聴くのが一番ですよね」とニューオーダー好きの会社の人に言われた。他にも「久しぶりにバンドの練習したらいいストレス解消になった」と言う奴もいる。水曜になると今日はサッカーなのに帰らなくていいの?と僕に聞く人がいる。久しぶりにゴルフ行きてえなあってオヤジもいる。彼らの言葉の中にはサッカー観戦(あるいは音楽、あるいはスポーツをする)=ストレスの解消、鬱憤の発散!みたいな図式が見え隠れする。

 まさかまさか、である。サッカーに関して言えばあんなにストレスの溜まるものはない。「なんでそこに出すかなあ」「読みが一歩遅い!」とか出来もしないくせに勝手な不満をもらす時間が大半で、くーっ、とうなるようなプレーが続いて気持ちいいのは一瞬である。少なくとも僕がサッカー観戦で求めるのは大声出して応援をしたりブーイングをしたりしてストレスの解消をすることではない。大声を出すのは(めったに出さないけど)「出てしまう」からであって、オヤジのプロ野球観戦と一緒にしてもらっては困るのである。しかしそうした精神の有り様をあのフィールドに持ち込む人が多いのもまた事実なのだ。それはクソみたいなバンドのライブでもある光景だし、そういった層がある程度は市場を支えているのが現状だ。

 嫌なことは沢山あります。会社員やってるやつは仕方なくやっていようが、意欲をもってやっていようが、どうしようもなく何かにからめとられてしまっているし、そういった「どうしようもなさ」を何か他のもの、酒や女やサッカーや馬やパチンコや、にぶつけるやり方は全く理解出来ないという訳ではない。しかしそういったやり方は、確実に「”本当に”酒や女やサッカーや馬やパチンコが好きな人」に比べると数段貧しい楽しみ方には違いない。そしてそういった”本当に”の人を理解する想像力のない人が上記のような図式に他人をあてはめてしまうのだ。

 横浜フリューゲルスのサンパイオはこんなことを言った。「ブラジルには多くの社会的・経済的に恵まれない人たちがいます。そんな人たちの唯一の娯楽がサッカーなのです。だから私はブラジル代表のユニフォームを着るときは彼らのためにがんばらないといけない、と思います。」なんだか本心から出てくる言葉にしかない重みがある。川口能活が「日本のために戦う」と言うときに感じる空虚をサンパイオの言葉からは感じることが出来ない。川口の言葉より中田の言葉のほうがリアリティを持つのはなぜだろう。それは彼が感じたように語っているからにすぎない。背負っているものが少ないのは少しも恥じることではない。その分軽やかに振る舞えばよいのだ。日本のサポーター(そして選手は)は確かにそんな切実さを持ち合わせる術がない。そしてもちろん、「ストレス解消」はそれとは別種だ。このお手軽な言葉には、表面的には似通っていてもブラジルの切実さとは明らかに違う質の、言い訳めいたにおいが潜んでいる。そうやって解消できる程度のものはそれだけのものだろう。そしてサンパイオは明らかに別の何かを背負っている。

 僕らは日々の生活から逃避するために苦労してキリンカップのチケットをとったりするわけじゃないのだ。ではブラジルの貧民街に暮らす人はどうだろう。彼らだって究極的には違うと思うのだ。僕たちはヒントをつかもうとしている。逃げるためではなく、向き合うために。いや、別に逃げることが悪くて、向き合うことが正しい、なんてお説教ラッパーみたいなことを言いたいのではなくて、そういった性質のやり方もあるんだ、ということだ。

 「ストレスの解消」には人を堕落させる性質がある。少なくともサッカーとは無縁であって欲しい言葉だ。無縁でないことも知っているけれど。





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