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FOOTBALL OR DIE No.9 |
| アレ・アレ・ジャポン?(妄想同盟って意味ですよ) |
| 文/ビワコビッチ(1998.5.20) |
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随分とさぼってしまった。体調わるいのはしょうがないけど、「さぼっててもええことない」とは蓋し、名言ですな。運動量の多さはモダンサッカーの基本中の基本だし。加茂前日本代表監督は、代表選手の条件を「うまい」「はやい」「かしこい」と言いましたが、「FOOTBALL OR DIE」にもその原則を導入しましょう。じっとパスがくるのを待ってきてもきません。自分からスペースを作ってパスコースを作らないと。ああこうやってサッカーを抽象的な人生に喩えてしまうのは、悪しき文系サッカーファンの癖なのです。 というわけで、今回は「ザ・妄想〜僕の考える日本代表〜」がテーマです。別に本気でそんなことを考える訳ではないのですが、「妄想とは」という角度から、この永遠のテーマを眺めてみましょう。 サッカーの掲示板で非常に盛んなのが、「僕の考える日本代表フォーメーション」という投稿です。「うわっ。おたく!」とそこの中田とカズしか知らないあなた、逃げないように。しかし、サッカーを(特に日本代表を)追いかけるものにとってこれは非常に悩みがいのあるテーマなのです。いやむしろこの妄想が、代表チームの人気を支えていると言ってもいいでしょう。ただのクラブチーム(フリューゲルス、レッズといった)を応援する方が、試合数も多いし、日々の楽しみにはいいでしょう。近所で試合もしてくれるし。しかしなぜわざわざたまに集合して試合するだけの代表チームを特に応援するのか?「日本人だから日本の代表を応援する」というオリンピック的、または地元の高校を応援する高校野球的発想のひともいるでしょうが、多分それは違うのです。
多分理由は、「代表チームはクラブチームより妄想の自由度が高い」からではないでしょうか?以前も書きましたが代表チームの特色はその流動性にあります。常に選手は入れ替えの危機にさらされているし、監督は自分の構想通りに動く選手を選出することが出来ます。通常ある程度の制限をもって作らなければいけないチームを、「国籍」というかなりあいまいな制約を除けば自由に組み上げることが出来るのです。極端な話、岡田監督が決定すれば、ラモスだって、ビートたけしだって、イチローだって、この僕でもサッカー日本代表選手になれます。5年前、あの「ドーハの悲劇」を戦った代表選手のなかに二人だけ、出来たばかりのJリーグに所属していない選手がいました。レギュラーだったMF吉田光範と控えのFWだった中山雅史です。彼らは当時Jリーグを目指すJFLヤマハの選手だったのです。日の当たらないところで試合をしてる選手達がこのチームにいる、というのが当時の僕にはとても新鮮に映りました。しかし当時に監督オフトにとっては彼らはどうしても必要な選手だったのです。たとえ、高いレベルのリーグで試合をしていなくとも。
どうしてそんなに盛り上がるのか?おそらく選手への好き嫌い等の問題もあるのでしょうが、それはその人の「こうあるべき(あって欲しい)サッカー」をメンバーの形で表現しているからであろうと思われます。サッカーの試合は言葉で表現することが難しい。こんな試合を観たい!という願望はそれをかなえてくれそうなメンバーの羅列、という形で提出するのが最も適切なのです。例えば、ガッツがあって、気迫の伝わるゲームを望む人は、中山や北沢や川口を望むでしょうし、とにかくスキルフルできれいなゲームを望む人は小倉の復活を願い、小野や、田中誠を望むでしょう。他にもハンサム揃いのチーム、俊足揃いのチーム、その人の望むゲームはあらゆるメンバーの組み合わせ(という妄想)によって実現されるのです。
追記:しかし上記のような代表チームの特質も、ヨーロッパでは確実に変わりつつあるような気がします。つまり外国人枠が撤廃されつつあることで、レアル・マドリードやインターミラノのように外国人のスターがレギュラーの半数以上をしめるクラブチームが出てきたせいです。つまりお金さえあればかなり流動的に(しかも国の枠を越えて)選手を組み合わせることができるようになったのです。これからはどうなることやら。日本もアジアに限っては外国人枠撤廃してもよいと思うのだが。
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