FOOTBALL OR DIE
No.10
 Born to be lose the game!
文/ビワコビッチ(1998.6.9)

 ワールドカップが始まる。僕は表面上は平静を装っているが内心はかなり盛り上がっているようだ。証拠にプレステのサッカーゲームを買ってしまい2日で操作に習熟し、左の親指を白く硬化させ、ついに日本がアルゼンチンを4-0で下すまでになった。今では強すぎてもうあまりやる気がしない。次は64本体を買ってサッカーゲーム史上最高峰と言われるアレをやってみたいものだ。

 フランスで、確実に起こることが1つある。多くの予想は予想でしかなく、そこにはある程度の不確定要素がある。しかしこいつだけは「絶対に」真実だ。つまり日本は負ける、ということだ。ワールドカップが終わる7月12日に、勝者は1チームのみ。他は全て敗戦を喫することとなる。日本が優勝する確率はゼロ。予選リーグで敗退か、決勝トーナメント1回戦で負けるか、いずれにせよ負けることは動かしようの無い確定事項だ。もし優勝してしまえばそれはワールドカップの終わりを意味する。
 日本が負ける。そのとき僕らはどんな顔をするのか?サッカーを観るものは全て、常に敗戦を経験し続ける。それはヨーロッパチャンピオンになったレアルマドリーのサポーターだって、来年はJリーグ2部落ちするかもしれないアビスパ福岡のサポーターだって同じことだ。運良く優勝を経験したものも次の瞬間から敗戦の心配をし始める。敗戦の味を知らないものはサッカーとは無関係の人だと言える。負けてしまったら?そうそのときは次を考えるのだ。負けたけれども試合内容は良かった。次は期待できる。あれだけ実力差のある相手に善戦した。今日は審判の判定に泣かされた。我々はまだ勝つには経験が足りない。納得のいく負けではない。選手に唾、監督に解任を!数々の思いが敗者の言葉としてつづられる。そしてまた僕らはサッカーを観てしまうのだ。
 アトランタオリンピックで日本代表は、予選リーグで2勝したが得失点差でブラジル、ナイジェリアに劣り、予選リーグで敗退した。あのときの世論は、「よくやった」という意見が大半だった。それはそうだろう。ブラジルに勝ったことで僕らは満足していたのだから。つまり僕らにはあいまいかもしれないがある「基準」があり、勝利をただやみくもに求めるのではないのだ。身の丈にあった成績より少し上を目指す。それがサッカーの正しい見方だろう。もしワールドカップで日本がベスト8以上に入ることが目標だという人がいたら、その人はフットボールクレイジーではなく、ただのクレイジーだ。少なくとも通常の神経でサッカーを観ればそのようなことは考えられなくなる。しかしじゃあ、予選突破も無理に決まってる。ジャマイカにも勝てねえよ、と吐き捨てる人がいたらそれはそれで悲しい悲観主義者である。つまり我々の今回の「基準」は岡田監督のいうように予選突破なのである。

   キリンカップの第2戦を観に行った。少し遅くなったが感想を。キリンカップでのテーマは今にして思えば「現実主義への転換」だろう。プレステのゲームでは確かに2日間練習すればアルゼンチンに勝てる。しかもドリブルで相手を振りきったり、華麗なスルーパスだって通るようになる。しかし現実は違う。日本で上手いほうから22人(のはず)の選手達は、世界に出れば平凡な選手となる。そんなときの「現実主義」とはなんだろう。その答えがキリンカップだったのだ。積極的なプレスは抑制のきいたプレスになり、果敢な囲い込みは、あくまで最終ラインでのボール奪取を目的としたゆるいものへと変貌した。コンパクトで高いライン取り、というテーマは今までと変わらないものの、高い位置でボールを奪う、というものではなくあくまで相手ボールを奪うの井原、中西、斉藤だった。ストッパーの二人の活躍が目立ったのはこの戦術転換によるものだろう。イケイケのサッカーを望む人には物足りないかもしれないが、僕にはとても洗練された、上品な守りの戦法に見えた。守備的と一言にいっても、べたっとゴール前を固めるのと、あのように高く位置取りをして戦うのでは大きく印象が異なる。チェコ戦での日本は非常に今風で、かつ冒険の要素の少ない戦い方をしたのだ。あのやり方が恐らくワールドカップでの基本になるだろう。
 そしてサッカーにはファンタジーが必要だ。つまり勝負だけではなく「観て面白い」ゲームをすること。少なくとも日本のサッカー好き達は、現実的で勝負にこだわった試合よりも、冒険心にあふれた、夢のある試合を望む人が多い。それは、サッカー好きだった少年たちがそのまま大人になったような今の代表の姿にも重なるし、最終予選で日本が苦しんだ原因でもあると思う。ぼくらは多分にゲームに夢を求めてしまうし、現実に徹するには少しナイーブな精神性を持っている。しかし今回の代表はそのナイーブさを隠し、「現実的に」戦おうとしているのだ。ファンタジーはあくまで隠し味に過ぎず(例えば小野、4バック)、チームのベースは粘り強く守ることにある。それはアトランタオリンピックで「どうしてみんなもっと攻撃しないんだ!」とキレた中田が、今回の現実的なチームの中心にいることに象徴的だ。彼らは少し前に進んだのだ。チェコ戦で、「労働者」のように献身的に走り回る中田の動きは、彼が「ファンタジー」と「現実主義」に上手に折り合いをつけられるようになったのだと感じさせるに十分だった。

 おそらく、この少し消極的にみえるやり方で惨敗した場合、「どうせ負けるのなら華々しく散って欲しかった」という玉砕主義者が現れるだろう。僕はそいうった声には一切耳を貸さないことにする。そうやって何が変わるというのだろう。本当に大切なのは、何かを得ようとすること。そのためにどうすれば良いか考えること。そして実行することだ。それが結果をともなわなかったら?その時はその時に考えよう。サッカー選手は勝利を目指して走っているが、同時に敗北を常に体験し続ける。負け方は無数に存在している。負け方ばかりを気にして意味があるだろうか?それより僕は次の勝利に興味がある。





FOOTBALL OR DIE | バックナンバー一覧へ