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FOOTBALL OR DIE No.14 |
| 横浜フリューゲルスの幸福 |
| 文/ビワコビッチ(1998.9.8) |
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本当は「横浜フリューゲルスの不幸」というタイトルにしようと思った。しかしそれではあんまりなのだ。余りに真実をついているような気がしたのであえて「幸福」と言ってみることにする。現実は変わらないかもしれないのだが。 先日(8/22)やっと今季初のフリューゲルスの試合を生観戦をした。7万人を飲み込むはずの横浜国際競技場は16000人しか入らず、試合相手の清水エスパルスの応援ばかりが響く。しかしそんなことでは僕は驚かない。今まで見に行ったフリューゲルスの試合は全てホームゲームだが、1度も応援で勝ったことはない。おとなしいサポーター、玄人きどりのサポーターが多いチームならではの光景だ。しかもサポーター集団は分裂している。おそらくフリューゲルスが応援で勝つ光景を見るには、対福岡や対広島の試合に行かなければならないだろう。しかしおそろしく納涼気分の味わえる1戦になることも覚悟しなければならない。もう少しスタジアムが家から近ければそれでも僕は行くが。 試合は4-2で清水が勝利した。清水は予想通り好感の持てるチームだった。非常に組織的な守備、地味だが質の高い一人一人の動き、そしてフェアなプレーといいとこだらけだ。さらにチームの財政状況が非常に苦しく、監督、選手とも最低限の報酬でプレーしていることも好感度をアップさせる。サポーターの雰囲気もよく、本当にいいチームだと思った。 対するフリューゲルスは「噂の」3ー4ー3フォーメーション。今季専門家筋では一番の話題だった、FCバルセロナ(世界一かもしれないクラブチーム)からやってきた監督、カルロス・レシャックの采配である。現在主流の「モダンサッカー」に風穴を空けるためのフォーメーション、サッカーにスペクタクルをもたらすためのフォーメーションである。(少なくとも僕はそう思っている)簡単に言えば、守備よりもとにかく攻撃を考えた布陣である。 現代のサッカーとは、点を取られないためのシステムが飽和点まで達したサッカーだ。どうすれば点を取られずにすむか?(そうすれば決して負けることはない)その問いに果てにあったのは「プレッシング」だった。相手の選手がボールを持つ。その瞬間、その選手を数人で取り囲む。同時にその選手がパスを出せる位置にいる他の選手へのコースを押さえる。そうすれば必然的にボールは自分たちのものになる。しかし90分間その守備の動きを続けるのは困難だ。(疲れるからね)そこで考えられたのが各ポジション毎に守備の「ゾーン」を設定してそこに相手が侵入してきたら、「こういったコースでボールを奪いにいく」という約束事を選手の間で決めておく。そうすれば必然的に個々の選手の責任は明確化され自分の守備ゾーンにおいてオートマチックな動きをすれば、ボールを出すスペースは無くなってしまう、という結果になる。ボールを奪ったら・・それはまた複雑な話になるので省こう。つまりこれが俗に言う「ゾーンプレス」という戦術である。この戦術が浸透したチーム同士の戦いでは、中盤はごちゃごちゃと選手が密集し、パスを出すスペースは極端に減少し、そのために考える時間もほとんどなくなる。つまり早く、正確で、強いパスでなければパスは繋がらず、ドリブルも余程のテクニックでなければ無効となる。そしてこれを実践していたのがこの日の清水エスパルスだった。彼らの守備はオートマチックでかつ攻撃のつなぎは早く美しかった。 対するフリューゲルスの戦術は「モダン」に対するアンチである。点を取られることを決して恐れないのがこの戦術の思想だ。FCバルセロナの監督をしていたヨハン・クライフ(レシャックは彼の右腕だった)は「走り回るのは憶病者のすることだ」と言ったそうだ。つまり常にボールとスペースをプレスし続けるモダンは臆病で、彼の掲げる理想のサッカーは常に勇気を持って点を取りにいくこと、なのだ。つまり極端にいってしまえばフリューゲルスの戦術に守備はほとんど重要視されていない。自分のボールをいかにして敵のゴールまで運ぶかだけが重要なのだ。つまり3人のフォワードは常に前の方で守備をせずにボールを待っているのである。そしてボールを持つやすぐにゴールに向かってドリブル突破を試みる。日本代表の「守備的」MF山口は、後半はほとんどトップ下で攻撃に専念していた。京都パープルサンガにDFのリーダー、大嶽が移籍してただでさえディフェンダーの層が薄いのに、今季のフリューゲルスはディフェンダーの補強をしていない。かわりに補強したのは元ポルトガル代表FWのドリブラー、フットレだった。そしてこの日のゲームに出ていた3人のディフェンダーのうち、2人は去年までミッドフィールダーだった選手だ。つまりフリューゲルスは守ろうという意識がこれっぽっちもない。選手はどうか知らないが少なくとも監督には全くない。 そして彼らは4点もとられて負けた。去年は確かリーグでも最小失点に近い硬さをみせたディフェンスは見る影もない。GKの楢崎、MFのサンパイオの2人がいなければもっと失点していただろう。見ていて無理もないと思った。だって守るための約束事がほとんど無いのだから。現代の高度に組織化され、点をとられないための守備戦術が浸透したプロサッカーにおいては致命的なことである。「勝つ」ということがゲームにおいてはもっとも重要なファクターだ。それを無視してまで繰り出される無意味なドリブル突破や攻撃偏重主義は勇気と呼ぶより、アホらしさと呼んだほうがふさわしいだろう。 なぜバルセロナにできた華麗な攻撃サッカーが、この極東のクラブチームでは出来ないのか?理由は簡単である。選手のスキルが違うのだ。高レベルなスペインリーグの中でも、トップクラスのタレント集団であるバルサと、Jリーグの中でもそれほど傑出しているとは言えないフリエではそもそもの前提が違うのだ。バルサの選手は1対1の争いになったとき、勝つ可能性の方が高い選手が多い。万が一抜かれてもカバーに走る選手の危機察知能力、戦術眼が高い。だから大して約束事を決めなくても点をとられないのだ。言わば放っておいても勉強する出来るコ集団なのだ。方やフリエは凡庸な、これからのチームである。ずば抜けた選手は数えるほどしかいない。彼らにはまだまだ、約束事や、ノルマが必要で、それがないとどうすればいいのか分からないのだ。 そして横浜フリューゲルスは幸福である。彼らは世界でもまだ少数派の超急進主義的サッカーの信奉者に率いられているのだ。目指すサッカーは決して昔のサッカーへの回帰ではない。これは凡人でも約束事に忠実であればやっていけた「モダン」の時代に対するカウンターなのだ。それを実行するには選手全員が、並外れたスキルを持ち、相手を見下さなければならない。凡庸なリーグの、凡庸なチームは(ちなみにフリューゲルスのスポンサーの資金力はJリーグの中では中の中だろう)いきなり圧倒的強者の論理をフィールドに持ち込んだのだ。 今季は幸いにも、優勝にも、2部への入れ替えもフリューゲルスには関係ないだろう。思う存分実験すればいい。凡庸なチームは、意識改革だけで強者の論理を身に付けることが出来るのか?サポーターはどこまで彼らの適当な(ある意味では最も高度な)守備を許すことが出来るのか?さほど熱心とは言えないサポーター達の前で、彼らは負け続ける屈辱に耐えられるだろうか?そして革命は2、3年後に起こるだろうか? 僕は試合を見終わっての帰りの電車の中で、妙に悔しさを感じている自分に気づいた。僕は少なくとも熱心なフリューゲルスのサポーターでは無いし、いままでも試合の結果で悔しいと思ったことはほとんどなかった。Jリーグは結果よりも内容でしょう、と玄人観戦者を気取っていた。しかし、この日は様子が違っていた。「サッカーはスキルフルであらねばならない」という芸術家じみた夢想をもつヨハン・クライフが蒔いた種は、レシャックという怪しげなおっさんとともにプロリーグがはじまって間もないこの国にやって来た。それが果たして根付くかどうかはこのチームの成功にかかっている。それを心から応援したい気持ちになったのだ。繰り返すが清水エスパルスのサッカーは素晴らしかった。しかし違う道があっても良いはずなのだ。 「Think different」アップルコンピュータと横浜フリューゲルスが共に掲げる思想である。(ウソ)
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