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FOOTBALL OR DIE No.18 |
| 国立競技場の空の色 |
| 文/ビワコビッチ(1999.1.7) |
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12月27日、昨年の天皇杯のファイナリストである横浜フリューゲルスが、2年連続で決勝への進出を決めた。相手は清水エスパルスに決まった。勝敗の結果はどちらでもいいと、この時点で僕は思った。エスパルスは「道義的に」最高のチームである。1997年のチーム存続の危機から市民球団として再出発し、1998年シーズンはその限られた戦力で最高の結果を残した。そしてその洗練されたサッカースタイルとフェアーなプレーは多くの人の称賛を得た。このチームに負けるのなら、心から僕は両チームに拍手出来るだろうと思った。そう思いながら、元旦の国立競技場に向かった。去年の同じ日も同じように僕は国立競技場にいた。そのときはその白いユニフォームが見られなくなる日が来るなど考えてもいなかった。鹿島には負けたけど次があるからいいやと思った。 沿道には多くのダフ屋とともに、「チケット譲って下さい」のボードをもった人たちが散見される。「フリューゲルスの最後の試合を観たい。」という気持ちと、「ダフ屋という倫理的でない存在からチケットを買う。」という行為は矛盾するのだ。倫理的であろうとすること、それが今回のフリューゲルスの消滅に対して我々がとることの出来る唯一の態度である。それはあまり効果のない戦術かもしれない。しかしそれは些細なことだが正しい態度だと思う。チケットがとれなかったらダフ屋からから買えばいいと思っていた僕は自分を恥じた。合併の決定を下した人たちにほんのわずかの倫理と想像力があれば今回のようなことは起きなかったはずなのだ。 競技場内はまず鮮やかなオレンジによって動き始めた。圧倒的に優位に立つかと思われたフリエ側の自由席よりも、遠く静岡からやってきたオレンジのサポーター達がまず初めにその見事な応援を披露したのだ。熟達したサンバのリズムにのって「一糸乱れぬ」声と動きで彼等はフリエへの同情を押し殺す。これがフットボールの流儀であるということ教えてくれる。この清水サポーター達の熱さ、そして清水エスパルスの選手の勝利への熱意が試合を素晴らしいものにしたのだ。フットボールは同情や倫理や世論やマスコミや感動である前に一個のゲームである。そのことを何よりも大切にしなければこのボールを巡る運動は何の意味も持たない。シャイなホーム側の自由席の空気に包まれながら、僕はその応援を心地よく眺めていた。もし国立競技場全体がフリューゲルスへの同情の視線で埋め尽くされていたらどんな気分だっただろう。きっとそれは吐気のする光景に違いない。お涙頂戴のありきたりな物語。その中でボールはあらかじめ書かれた脚本をなぞるように動いただろう。オレンジの軍団は素晴らしかった。救いはまずそこにあった。 前半はエスパルスが素晴らしい動きで、フリューゲルスを圧倒する。スペースをつくパスはことごとく決まり、両サイドを完全に制圧する。中盤での争いも組織的なプレスで次々とルーズボールを拾う。伊東輝悦のセンタリングから沢登が先制点をあげたとき、僕は3ー0での敗戦を覚悟した。しかし徐々にフリューゲルスは持ち直す。武器は粘り強い最終ラインの守備と、個人技に頼った攻撃と、三浦淳宏のロングスローしかなかったがそれでもそれなりに攻めることは出来るのだ。そして前半ロスタイム、山口の浮かせたパスからゴール前にボールがこぼれ久保山が同点ゴールを決める。 後半は互角の戦いだった。エスパルスの運動量が落ち初め、中盤での支配率が高まった。山口とサンパイオは精力的な動きでチームを鼓舞した。特にサンパイオはあらゆる局面に顔を出し、汗をかくことに徹する。このドリブルも、パスも、フリーキックも目だたないブラジル人はしかしなぜ彼がブラジル代表なのかを全身で表現していた。そしてそのサンパイオのパスから永井がペナルティエリアに切れ込む。一瞬マークが外れた吉田にパスを出し、吉田が上手くトラップして右隅に決める。28分ころの出来事だった。その後はもう負ける気がしなかった。あれだけ運動量があって、守備が集中していて、全員の意識統一がとれていればそうそう点が入るはずもない。彼らが勝ち進んで来たのは「気持ち」のせいでは決してない。綿密なフィジカルコンディションの調整がなければあれほど走り続けることは決して出来ない。高い技術がなければ時間稼ぎでスペースにパスを出したり、相手陣内でボールをキープしたりすることなど出来ない。モチベーションの高さで優勝した、と軽く言ってのける人は自身の無知をさらけ出しているのだ。彼らは勝利に値するチームだった。そしてそのまま彼らは持ちこたえた。その瞬間僕は試合前に配られた青い紙テープを投げ、大声を出した。ベンチにいたメンバーがピッチに流れ込んだ。楢崎は両手を高く掲げた。山口はボールを抱きかかえたままその場にうずくまった。三浦はみんなに抱きついていた。とび丸くんがぴょんぴょん跳びはねた。清水サポーターは静まりかえって、フリューゲルスサポーターは力一杯拍手した。 そして表彰式が始まった。川淵三郎チェアマンにはブーイングが、両チームの選手には拍手が送られる。全てが明晰になる時間だ。世界は複雑にからみあっているかもしれないが、ゲームが終わった後には勝者と敗者だけがいる。その世界を侵そうとした人間はゲームが終わった後も非難されるべきだし、素晴らしいゲームを戦った選手達は称賛されるべきだ。この明晰な時間はおそらく誰も傷つけない。川淵三郎はもしかしたらこのブーイングを喜んでいたかもしれない。自らがかつて語った言葉の正当性を、逆説的な形で証明されたのだから。 横浜フリューゲルスのキャプテンは山口素弘である。Jリーグ開幕当時、最年少キャプテンだった彼は既に29歳になっている。彼はその手に天皇杯を高くかかげ、手すりに上った。後でVTRで見るとものすごい笑顔をしている。合併に関するマスコミの取材に対して、中田以上に傲岸な態度で接してきた山口はおそらくはこの笑顔のためにこの2カ月を過ごしてきたのだ。ウィニングランが始まる。清水サポーターからも大きな拍手とコール。そしてサポーター席に近づく選手達。その周りをものすごい数の報道陣のカメラが取り囲む。彼らが選手達がサポーターに近づくのを遮る。本当に僕は彼らがウジ虫に見えた。いくつかの数少ないメディアを除いて、本当の報道をしようとしているカメラはその中にはない。彼らはくだらない悲劇の映像が欲しいのだ。そしてその人込みを強引にかき分けて選手達は最後の挨拶にやってきた。このチームはここで解散する。チームの再建は成功するかもしれないが、そのときに今の選手達はいない。それは本当に名残を惜しむように長い時間続いた。 多くの選手が引き上げた後、山口がゴール裏へと走ってきた。そして深々と頭を下げ大きく両手を振った。三ツ沢競技場でやったように、ピッチの真ん中にまたフリューゲルスの旗を突き刺してくれればいいのにと思った。しかしそのまま報道陣を振りきってロッカールームに消えた。ゴール裏の中央ではサポーターの拡声器から「これが終わりじゃないんだ。始まりなんだから。」という声が聞こえてきた。そうだ、と思った。チームの再建は始まったばかりである。今は選手もスタッフもいないまま「思い」だけがそれを進めている。そして僕は記念撮影をして国立を後にした。そのまま実家に帰省したのだが、沢山の清水サポーターを中央線の車中や東京駅で見かけた。彼らはおそらくこだまに、僕はひかりに乗り込んだ。清水エスパルスは今後、優勝した横浜フリューゲルスの代役としてゼロックススーパーカップとアジアカップウィナーズカップに出場する。 後日ビデオでこの試合を見た。実況のNHK山本アナは放送の中で、もう一度フリューゲルスを興そうとする活動について触れ、「何年後になるでしょうか。その思いが実現するころには、日本に今とはまた一回りも二回りも違ったサッカーの世界が根付いている頃ではないでしょうか。」と言った。そして最後に「私たちは忘れないでしょう、横浜フリューゲルスという非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。」と締め括った。このような言葉を持つ人がいる限り大丈夫だ、きっと物事は徐々に良くなっていく、と思った。これは悲劇ではなく、何かの始まりなのだ。
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