FOOTBALL OR DIE
No.24
 不眠の夜、勝利の朝
文/ビワコビッチ(1999.4.23)

 20歳以下の日本代表チームが、ワールドユース選手権の決勝に進出する。これを書いているのは4月22日の夜である。日本の勝利が決まったのは今日の朝5時。それから僕は2時間ほど眠ろうと思った。しかし「決勝進出」という事実の前に興奮してしまい、あまりよく眠れなかった。そのまま会社に行った。だから当然だが、今、すごく眠い。ワールドユースが開幕してからこの調子が続いている。このお祭り騒ぎと不眠は、後2日で終わる。日本チームは、世界で1番になるか、2番になることが決定している。

 そのことについては、結果が出てからまたいつか書こうと思う。暑い暑いナイジェリアの地では、サッカーが極めて上手い少年たちが、独特の性格を持った熱血漢のフランス人の指揮官のもと6試合を行い、選手権を勝ち進んでいる。このことで、僕は少なからず幸福な気分になっている。なぜ?と思う人もいるかもしれない。そのことと、あなたの人生に何の関連があるというのか?その訳を今書くことはしないでおこうと思う。今まで「football or die」で書いてきたことの中に答えはあるような気がする。この幸福感は、少しの変人と、多くの凡庸な日々を生きながらサッカーに取り憑かれた人々に許された特権であり、我々はそのために多くの代償を支払ってきたのだ。少しくらい、うかれたっていいと思う。全ての幸福感には、裏返しの現実が潜んでいるし、そのことを指摘することで自らの正気を証明しようとする人もいるだろう。でもきっと、そういう行為のことを「野暮」と呼ぶのだ。今喜ばなくていつ喜ぶのだろう。少なくとも1995年のユニバーシアード福岡大会の日本代表に注目していた人以外(この大会で日本は世界一になっている。「大学生の」だが。)は、今初めて自分の応援する日本代表チームが「世界一」を争うポジションにいることを体験しているのだ。その事実は、とても重い。

 しかし、ここで一つだけ書いておきたいことがある。決してこのことは「革命」ではないのだ。キャプテンの小野は「優勝して歴史を作る」と言っているが、それは実際に戦うものだけが口にすることを許される言葉だ。我々がよく知っているように歴史とは恣意的に作られるものではなく、後から発見されるものだ。決勝戦が終わった後には、勝者と敗者がいるだろう。その勝利だけを取り出してみて「日本サッカーの新たな歴史の1ページ」などと陳腐な表現を使う愚を冒してはならない。敗北を取り出して「世界の壁」などというものを築いてはいけない。サッカーとは終わりのある物語ではなく、際限の無い歓喜と悲嘆の繰り返しである。「革命」は決して起こらず、ただ多くのその繰り返しの中に取込まれる者たちを生み出すだけなのだ。トルシエ監督は「革命」を起こした魔術師ではなく、そういったサッカーの「考え方」を極めて効率良く教えてくれる教師である。小野は「日本サッカー界の革命児」ではなく、「素晴らしいフットボーラー」の一人なのだ。彼らは決して「日本サッカーの未来」等という実態のない存在を背負ってはならない。彼らはただ、勝利を目指して、懸命に走るのだ。僕はそのことを出来るだけ純粋に応援したいと思う。

 つまりユースが勝ち進んだことを、安易に「トルシエサッカーの革命」と語ってしまってはいけないし、「若年層の強化に成功した日本サッカー協会の成果」と語ってしまってもいけない。また2002年のワールドカップ、コリア・ジャパンのことばかりを持ち出してはならない。サッカーは決してワールドカップの勝利の為にあるのではない。サッカーは一つ一つのゲームの中に、それを見つめる人々の中にある。

 今日の朝は、普通の朝だったのだ。僕は少し(いや随分と)興奮していたし、サッカーの話題を出す人も今日は沢山いた。でもそのことはあまり重要なことではない。こんな嬉しい朝はこれからも時々は起こるだろうし、その逆の体験もまた、スタジアムで、あるいはテレビ観戦で我々の身に降りかかるだろう。決して革命はやって来ない。ただ日々は過ぎるのみだ。サッカーというゲームの中で。





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