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FOOTBALL OR DIE No.25 |
| 未来は今 |
| 文/ビワコビッチ(1999.4.27) |
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ユース代表は決勝でスペインに負けた。4-0の大差である。理由付けに言葉を費やしたくはない。前回に書いたことで僕は今回のユースチームに関しては、大方を言ってしまったようだ。これからしばらくはユースチームのことがメディアをにぎわすだろう。中心に据えられるのは小野と本山。これはもう決定している。ここ数年のメディアの振る舞い方を見ていれば容易に想像のつくことだ。彼らはいつも退屈な物語を作りだし、その中心に誰かを据える。それを軸にすることでしか、彼らはサッカーを語ることが出来ない。そしてfootball or dieがやるべきことは、(断じて!)そのような運動に追従することではないのだ。 「代表が盛り上がれば、Jリーグが盛り上がる」というのは壮大なウソである。決して代表の人気がクラブを盛り上げるのではないし、そうであってはいけない。サッカーの貧しい楽しみ方しか知らないこの国では、やはり代表は特別のチームとして報道される。その事実は変わっていかなければならない。日本に限らず、「国」という枠組みは大掛かりなフィクションだが、サッカーを楽しむには未だに有効なものだと僕は思う。だからナショナルチームの重要性、面白さを否定するつもりはないが、そのフィクションがまるで「本当に大事なこと」のように扱われるのは我慢ならない。つまりそれ自体がフィクションであるサッカーが、「国」という意匠をまとうことでよりその機能を強めるのは理解出来るのだが、あたかもその意匠の為にサッカーが存在するかのような扱われ方には猛烈な不快を覚えるのだ。サッカーとナショナリズムについてはいつかちゃんと述べたいと思うので、今回はこのくらいにしておきたい。クラブ。それこそが最も重要なサッカーの単位であり、それ以上大きい単位でも、小さい単位でもいけないのだ。 ユース代表に多くの選手を送り込んだチームはどこだろう?本山、小笠原、中田、曽ヶ端(登録外のGK)を送り込んでいる鹿島、次いで遠藤、手島、辻本が所属している京都ということになる。しかし、実は隠れた最多チームが存在する。今年の天皇杯優勝をもって消滅した横浜フリューゲルスである。このチームに所属していた遠藤、手島、辻本(現京都)氏家(現大宮)の4人はなんと揃ってユース選手権決勝のスタメンに名を連ねたのだ。彼らのチームが消えていなければ・・・と思わずにはいられない。そして決勝の10時間後、横浜国際競技場では別のゲームの開始を告げるホイッスルが吹かれた。
4/25。溜まりに溜まった睡眠欲を抱えながら、僕は横浜に向かった。JFL、ジャパンフットボールリーグの試合である。横浜FC 2-2 ジャトコFC。現在、考えうる限りの最良のクラブチームを目指す横浜FCのデビュー戦だった。それはあくまで横浜フリューゲルスの亡霊としてではなく、新しいクラブとしてこの日始まった。集まった観客はなんと11000人。J1、J2の更に下のリーグからのスタートであるが、この観客数は決して快晴の天気のせいだけではない。 ピエール・リトバルスキー監督に大きな拍手が起こった。横浜市の少年サッカークラブの子供達が大挙してグラウンドを彩った。オーロラビジョンには、バースデーセレモニーと銘打って、4月に誕生日を迎えたソシオ会員の名前が映し出された。(8月には僕の名前も発表されるのかも。)そして横浜FCコールが、サポーター席だけでなく、メインやバックスタンドからも自然に沸き上がった。そしてピッチに現れた選手達(その多くは、今季J1、J2のクラブから解雇を宣告された選手である)に本当に大きな声援が送られた。彼らにとっては最高の舞台での敗者復活戦であり、我々にとっては本当に大きな第1歩だった。彼らのまとうユニフォームの胸にはソシオ・フリエスタのロゴがあった。そのユニフォームは、あの横浜フリューゲルスにとてもよく似ていたが、全く違う作られかたをしたのだ。前日にそのピッチを彩ったマリノスの青いユニフォームの胸には「NISSAN」の文字があり、背中には「ANA」の文字があった。それがとてもくすんで思い出された。僕が今見ている白いユニフォームはとても誇り高く、見るものに勇気を与える。 試合の内容はやはり、下部リーグであることを実感させてくれるものだった。J1、J2、ワールドユースと、様々なカテゴリの試合を観てきた僕の目には、やはりJFLはJFLのレベルであるように映った。つまり、厳しい言い方をすればチケットの2000円(ソシオ会員は1800円)は少々高い。しかし、僕は全く不満を感じなかった。それは、その「少々高い」と感じる部分の差額は全て、このクラブを強くしていく為に(ダイレクトに)使われるだろうという確信があるからだ。日本で初めての企業に依存しないプロサッカークラブを作ろうとする試み。その試みに賛同した多くの人は、あるいは30000円のソシオ会費を振り込み、あるいはこの日の入場料2000円を支払い、あるいはタオルマフラー2100円を購入したのだ。それは全く先の見えない投資、未来へのやみくもな信頼である。それは望ましいことであると同時に、少し危険な事態でもある。 未来への過剰な信頼、期待は愚かなことだと思う。ユースの活躍を2002年のワールドカップへの期待に即すり替えてはいけないように。今我々が手にすることが出来るのは、「今」でしかない。「今」あることから「未来」を考えるのは別に悪いことではないが、それにからめ捕られるのはまずい。その昔、じゃがたらの江戸アケミは「今が最高だと言えるようになろうぜ」と歌ったが、彼自身は混乱の中で死んでいった。 横浜FCというクラブが戦うべき相手は「今」である。なんだか矛盾したことを言っているかもしれないが、それは本当のことなのだ。未来のJ1で戦うチームを想像して、今のチームを見ることは、今の選手に対する冒涜である。それはフリューゲルスの代替物としてチームを眺めることと同等の犯罪なのだ。「今」だけが、闘争の場である。昨日、横浜国際に集まった人々が、安易な未来への投資家でなく、真摯な現在の闘争家であることを強く願う。
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