FOOTBALL OR DIE
No.44
 恋のピンチヒッター
文/ビワコビッチ(2000.2.6)

 偉大なるイギリスのロックバンド、The Whoの「substitute」の邦題は「恋のピンチヒッター」である。当然リアルタイムで聴いている訳ではない。古い曲だ。初めて邦題を知ったときはなかなか洒落ているではないかと思った。最高のロックンロールの一つだと思う。

 そして最近気付いたことがある。「ピンチヒッター」という言葉についてである。The Whoが野球を知っていたとは考えにくい。(野球の存在が知られているのは北アメリカとその周辺、日本、韓国、台湾ぐらいのものだろう。)当然「substitute」を「フットボールの交替選手」とした方が彼らも良い邦訳だと思ってくれたのではないのだろうか?しかしそれではあまりにも語呂が悪い。日本語にそれを意味する(カタカナ英語でさえも)言葉はない。かといって「代替物」という直訳もいただけない。やはり「恋のピンチヒッター」は邦題としてよく出来ていると言わざるを得ない。

 つまりそれは日本が野球の国だったということだ。「substitute」がフットボールの交替選手を喚起させる言葉だと知ったとき、邦題をつける役目の人は考えたのだ。「イギリスにおけるフットボールのような存在は、日本では野球だな。よし、”ピンチヒッター”にしてしまおう」と。それは優れた判断だったと思うし、言葉を翻訳するということは深い文化的問題に関わるという良い一例を示していると思う。邦題をつける、ということ自体が珍しくなってきた昨今、こういった文化的衝突はあまり見られなくなってきたようだけど。

 僕は野球が大嫌いだ。積極的に嫌いだ。そしてかつては野球をよく見ていて、巨人が好きだった。(これ以上恥ずかしい告白はないとさえ思っている)しかしサッカーに取り憑かれて以来、急速に野球に対する興味は消え、更に最近は憎悪さえするようになってしまった。今まで何度、FOOTBALL OR DIEで野球の悪口を書きまくろうと思ったことか。しかしそれはやらないできた。それをやってしまってはお終いだとも思っている。何かの素晴らしさを伝えるときに、何かの批判でしか表現出来ないのは、批評的稚拙さの告白に過ぎないと思うからだ。これからもそういったことは書かないつもりだ。

 しかし「恋のピンチヒッター」の一件から思ったのは、なんと沢山の野球用語が世の中の様々な場面で使われているか、という事実だった。仕事でも「ピンチヒッター」や「リリーフ」は代替要員を表現するのに使われるし、物事を上手く見極めることを「選球眼が良い」などと言う。相手の容姿や年齢にこだわらず異性に魅かれることを「ストライクゾーンが広い」なんて言うこともある。更には好んで不細工な人に恋するヤツは「悪球打ち」(しばしば”岩鬼の”のという接頭詞をつけて)と呼ばれる。カバーする分野が広ければ「守備範囲が広い」等々、枚挙にいとまが無い。

 つまり僕は認めざるを得ない。野球はこの国にとって(多数によって認知された)共通の文化になっているということを。言葉の問題がそれを証明している。野球のルールさえ知らない人でも「リリーフ」が意味することは分かるのである。それは現在、この国のプロ野球がどれだけ醜悪なシステムで運営されていて、そのシステムを守ろうと躍起になっている連中がどれだけ俗悪であろうと関係がない。文化は、いつだってそれ自体は無実なのだ。

 不毛な野球批判をするつもりはない(したくてたまらないのだけど)。そして野球の文化的浸透度は認めざるを得ない。しかしそこで強く思うのは、日本のサッカーが文化的浸透を指向するとき、現在のプロ野球的在り方を断じてモデルとすべきではない、ということだ。野球のsubstituteとしてのサッカーではなく、新しいやり方、考え方を提示していかなければならない。だから僕はスポーツニュースで下らないプロ野球のキャンプニュースをやっていても、この代りにJリーグのキャンプをやって欲しい等とは微塵も思わない。(代りに世界各国のリーグ戦のニュースをやって欲しいとは思う。)

 繰返しではなく、何か新しいモノ。漠然としているが、それこそが僕が日本のサッカーに望むことだ。





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