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FOOTBALL OR DIE No.53 |
| 夏休みの終わりのような毎日(にはもうウンザリ) |
| 文/ビワコビッチ(2000.8.15) |
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暑い夏の日々。8月も後半に入ると僕はいつも随分と憂鬱な気分になった。宿題はとっくに終わらせてるような可愛げのないガキだったから、そういう種類の憂鬱ではない。ただただこのダラダラとした日々が終わってしまって、また学校が始まるが嫌だったのだ。別に活動的に遊び回っていた訳じゃない。図書館に行って本を借りて、座敷で寝っ転がりながら本読んで、蝉の声を聞きながらいつのまにか昼寝。そういう感じ。大学生になってもそれは変わらず、周りと違って旅行に出掛けるでもなく、ただダラダラしていた。そんな夏はここ数年(去年を除けば)もう遠いものになってしまった。もしかしたらもう一生あんなに呆けたような日々はないのかもしれない。 そうそう、サッカーの話だった。そんな風に早くも夏の終わりを感じまくっている僕は、その最後のイベントを待っているところだ。シドニーオリンピックやアジアカップの為に中断に入るJリーグのディヴィジョン1。その中断前の最後のゲームが8月19日にある。国立競技場、FC東京対鹿島アントラーズ。19:00キックオフ。この一戦がこの夏の、何か象徴のようなゲームになるような気がして仕方ない。それはもう本当に勝手な思い込みなのだけど。 本当に勝手な思い入れだけど、別に理由がない訳じゃない。第一に久しぶりのホームゲームだということ。金沢でのホームなんてのもあったけど遠くてホームなんて思えない。そして6月24日のマリノス戦以来、ホームで勝ってないということ。だから、こんなクソ暑いなか戦ってきて、5連勝の後の4連敗というなんともツライ結果を受け取ってきた選手を見に、そしてそんな選手達が勝利で気持ち良く、長い長い中断期間(東京には代表選手はいないから)に入っていく姿を見られないものかと期待して、僕は国立に行こうとしている。 先日の広島戦、東京の試合はおろかプロサッカーを生で見るのも初めてという友人を連れていった。僕と僕のいつもの観戦仲間が語る言葉は、随分と彼女を驚かせたようだ。僕らの言葉から見え隠れするものを彼女は「溺愛」と表現した。なんというか溢れる愛情を感じるらしい。僕は随分と辛口のことも言ってるような気がするし、ぜんぜん溺愛してるようなつもりはないのだけど、やはりそれはどう考えても子供のことを語る親のような言葉になっているらしい。そして恋人への言葉とは少し様子が違うらしい。 まあムリもないのかもしれない。なんというかこれほど酬われることの少ないサッカーの観戦者が、少しくらい「愛の溢れるいい人のような印象」を与えたって構わないではないか、と思う。多少のバカやってもそれが愛ゆえだったら笑って済ませてもらえるのだ。更に言うなら、そのバカな、無意味なことに向かって全力を尽くすその姿に、なにかしらの感情を揺さぶるものが潜んでいることにも気づいて欲しいのだけど、まあ大抵は笑われるところで終わってしまう。まあ今すぐ無理に理解してもらう必要はないだろう。 話を8月19日に戻そう。相手の鹿島アントラーズは現在首位で、代表選手も沢山いる。対する東京は2トップ頼みの部活カウンターチームで、だから東京は格下だ、という言い方をよく聞く。でももう僕はそんな紋切り型の分析は飽きてしまった。サッカーの巧い下手は「ほんのちょっとの差」の積み重ねだということが分かって以来、選手の質、とかチーム力といった言葉に信頼が置けなくなってしまった。だから別に東京が明らかに鹿島より弱いなんて思わないようにしてる。というかその「ほんのちょっとの差」が何かで埋まればきっといい試合になるだろうと思っているのだ。 埋めるものは何だろうか?きっとそんなものは存在しないのだ。というか目に見えたり言葉に出来たりするようなものじゃなくて、スタジアムに時折発生する、感じることしか出来ない空気だ。それが産み出されれば、何かが少し変わる。その空気を吸えば、見ている僕たちも変わる。東京の試合はそんな時間を何回か経験してきた。それが今週末の国立で起こる可能性は(いつもあるし今回も)十分あるのだ。 という訳で皆さん(こんな風に呼び掛けるのは初めてかもしれない)、国立に行こう。この日は「サンバナイト」ということで変な楽しさがあるかもしれない。そしてあの空気を吸ってみよう。そしたらいい結果が生まれるかもしれない。そして最後に、この試合への思い入れの本当の理由書こう。(怒る人もいるかもしれない。)翌日は僕の誕生日なのだ。いつも夏の終わりにあるこのなんともウザったい日が、こんなにも入れ込んでいるチームの勝利とともにやってきたとしたら、それは随分素敵なことのように思える。ちなみに負けたとしたら・・その時はその時にうまい言い訳でも考えよう。そもそもこうやって歳を重ねること自体が、壮大な言い訳の積み重ねに似たものなのだから。
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