FOOTBALL OR DIE
No.56
 論理的な、あまりに非論理的な
文/ビワコビッチ(2000.10.31)

 眠くてたまらない月曜の夜。当然昨日の夜、アジアカップの決勝戦を観ていたからだ。レバノンの地で、僕が国内の代表マッチや、Jリーグの試合や、天皇杯で見たことのある選手たちが、優勝カップを手にした。普段はムカつくやつも、普段からいいなあと思ってる選手も、この数週間(オリンピックから入れれば実に2カ月も!)は一つのチームとして運命をともにし、それは僕らも同じことだった。この2カ月は(97年のワールドカップ予選の2カ月ほど濃密ではないにせよ)久しぶりの長期にわたる日本代表の日々だった。

 もういまさら語ってもなんの目新しさもないであろう予選リーグの初戦、サウジアラビア戦。柳沢、高原、名波がゴールを決めて(最後には小野も)かなりの楽な試合になってしまった。「日本が強くなったのか、サウジが弱くなったのか?」なんて議論が始まった。ウズベキスタン戦。とんでもないスコアで勝ってしまい、試合途中で寝る人が続出、議論は「日本があたま一つ抜けている/アジアのレベル低下は甚だしい」まで大げさになって行く。カタールにサブメンバー&一人退場で引き分けた後は更に僕らは混迷の度合いを深める。日本がカタールに勝たなかったせいで、予選突破出来なかったタイの監督に恨まれるのも知らん顔で、選手も監督も、そして我々も随分前からの指定席のように予選1位の席に腰をおろした。どこかにあった「激しい殴り合い」を望む本能が、行き場をなくしてしまったかのように穏やかな3試合。

 そして始まった決勝トーナメント。相手はイラク。かなり無理のある「ドーハの仇討ち」という設定で強引に盛り上げようと試みるが、先取点を獲られてから同点に追い付くまでが短すぎた。イラクは憎たらしいヒールには程遠く、最後には選手を休ませるための交代までする始末。ますます「格が違う日本、優勝はノルマ」が大前提となっていく。準決勝の中国戦。やっとのことで逆転されて人並みにドキドキしようと思ったらこれもあっという間に西澤のヘッドで追い付いた。それなりに緊張はするもののやはり中国には「日本に善戦すれば満足」的な雰囲気があったような気がする。そして本当の意味で心臓に悪い殴り合いの試合は決勝戦まで持ち越されることになる。

 決勝。サウジはPKを外すなど決定的なところでどうも怖くない。これは日本との試合がいつもそうなのか、それとも全部こんな感じなのか分からないが、日本がサウジに負けたところを見たことがない僕としてはサウジはやはりサウジだった。もう一点はとれるだろうと思っていたら、後半は攻められるシーンが目立った。でもあの攻勢を持ってして日本はサウジにかろうじて勝てたんだ、運が良かった、川口のおかげだ、というのはあまりにも幼稚だ。なんというかサッカーはそういう「感じ」じゃないんだよな。

 僕は論理的なことが好きで、同じくらい非論理的なことに振り回されたいとも思っている。僕が未だにサッカーにゾクゾクするのは、きっとサッカーはそのバランスが絶妙で、論理的な部分(日本が決勝トーナメント出場国でリーグ戦をすれば優勝するだろう、くらいのことは言える。)が厳然として存在し、且つ、決してどれだけ経験を積んでも正解はなくて、いつも結果は色んな表出の仕方をするからだろう。だから、今回の日本の優勝はとても論理的だとも思うけれど、やはり非論理的な部分も含んでいるのだ。「最初のサウジのPKが決まっていたら負けていた」「川口のファインセーブのおかげだ」という言い方は勿論間違ってはいないだろうけど、もしかしたら点をとられていたら逆に日本が攻め込み続けて、大量点で勝ったかもしれない。途中交代の柳沢はあの場面でスルーせず直接打っていたら、2-0になって、でもその一瞬の気の緩みで立て続けに2点とられて同点にされたかもしれない。そういう風に一つの可能性が多くの可能性の起点となって、更に多くの可能性に分岐していく様は、決してロジックで解析出来る程度のものではないだろうと予測する。全てのパラメータ(それこそパスかドリブルか?の判断からはじまってトラップの角度一つ、審判のまばたきの瞬間のバリエーション、観客の野次のオモシロ度、風向き、スタジアムの風水的分析、川口の整髪料の残量などありとあらゆる要素が)複雑なマトリックスを作って壮大な「結果」へと僕らを導いていく。もうそれは目もくらむばかりの複雑さがシンプルな1か0の(勝ちか負けかの)ビットの世界に転じていく、冗談みたいな現象だ。

 何も僕はサッカーの結果が所詮偶然の産物なんだよ、なんてことが言いたい訳ではないのだ。当たりまえすぎることだけど、人間は愚かでなかなか達観出来ない動物だから、偶然が入り込む世界においても、それが入り込む余地を出来るかぎり排除しようと努力する。当然それはスキル(フィジカル、メンタルも含む)の向上であり、戦術の浸透へ向かう。そしてそれがとても上手くいったから日本はアジアカップで優勝出来たのだ。それは間違いない。僕が今語るべきことは(勿論日本のレベルが猛烈に上がったのか/且つアジアが頭打ち状態なのか、という点はそれなりに興味があることだけど)そのバランスの妙を楽しみたいということだ。なんだかんだ言っても結局90年代のアジアのサッカーはサウジ、韓国、日本がトップに居続けた。いろんな番狂わせが起こっているようで、実は安定した結果をもたらすのもサッカーの不思議なところだ。

 人間は愚かなようでいて、実に巧妙な生き物なのかもしれない。論理を崩すのは非論理で、非論理に打ち勝つのは論理なのだ。その堂々めぐりを実に象徴的なシステムに仕立てあげたフットボールは、だから世界で一番人気がある。みんなそれが大嫌いで、だけどどうしようもなく魅せられている。





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