FOOTBALL OR DIE
No.57
 アマラオの瞳
文/ビワコビッチ(2000.11.25)

 11月23日。今年最後のFC東京のホームゲームを見ようと、国立競技場に向かう直前、友人から電話があった。そして「東なめ」HPを見て、アマラオが東京を出ようとしていることを知る。そこに書かれている言葉の衝撃を、なんとか受け止め、理解し、晩秋の国立競技場に辿り着いた。とても天気が良くて、弱いけど確かに届く陽射しがあって、そして僕が座ったバックスタンドにはそんな事態を知らない人も沢山いて、ゴール裏の様子をきっと少し変だな、程度に思っていたに違いない。僕は普段よりゴール裏に近い場所に座り、ゲームを見守った。

 もしアマラオのことがなければ、きっと僕はのんびりとこのゲームを見ていたに違いない。相手の市原はまだ一部残留が確定していないとはいえ、余程のことがない限り来期の降格はない状況。東京は降格争いにも優勝にも関係がなく、連敗中にも関らずどこか焦点の定まらない試合を続けそうな予感がしていた。僕が試合中に話すことは、早くも来期の構想だったりして、次のタイトルである天皇杯にしても優勝して欲しいなどとは思っていなかった。きっと小倉を中心とする市原の魅力的な闘い方にほーっと(エラそうに)歓声をあげ、それでも都合よく最後のホームゲームなんだから勝ってくれと願う程度の、ダラけた観戦者に成り下がり、きっと負けてもやれやれ程度で家路についたのだろう。

 別にそれが悪いことだなんて思わない。いつだって僕は無責任にサッカーを見てきたし、これからもそれが大きく変わることはないだろうと思う。だけど、もしかしたらそんな空気そのものが、アマラオに移籍を考えさせる一因になっていたのかもしれないと思うと、なんだかとても落ち込んでしまい、由紀彦のVゴールの瞬間に沸いた喜びの感情も、あっという間にどこかに行ってしまった。

 今日の時点で、アマラオが移籍するかどうかは分からない。情報源は東なめだけだし(もちろんその情報の信憑性は疑うべくもないが)、アマラオも断言してはいないように思う。希望的観測を言えば、別れるつもりがよりを戻すことになる可能性だってなくはない。来年になってもまた青と赤のユニフォームを来てピッチに降り立つ背番号11がいるかもしれない。今日深川グランドに行った人も多いときく。それがアマラオの気持ちやフロントを動かさないとは言えないし、僕はただ今はそれに期待している。僕が出来ることはなんなのだろうと考えながら、こんなものを書いて誤魔化している。

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いつだって初な気持ちで、死ぬ程一生懸命やらなきゃ
他人の気持ちなんてものは、決して打ちはしないヨ、と
プロレスがショーで八百長だからなんてエラソーにしたり顔する奴に限って
何も分かっちゃいない、何も出来ない、多分これからもわかりはしない
だってほら見てご覧、他人とにっこりコンニチハ、ひとつどうかよろしくなんて
頭を下げる毎日のクセして、それが八百長じゃなくてなんて言うんだい?
だからオレは他人の八百長をけなす奴は一生信用しない

 (中略)

だって僕は君にもうこれ以上、何も話すことはない
君もそうだと思う 僕が勝手に思ったり 思い付くまま・・・
笑っちゃうこともあるだろうね 他人の経験なんて誰にも分からない
話すとしてもコンニチハくらい
だからやっぱり恥ずかしいからビールは一緒に飲まない
君が何処で何をしていようと僕はここにいて
僕が何処で何をしていようと君はそこにいる

------------------------------------遠藤賢司『輪島の瞳』より

 僕はプロレスは別に好きじゃないけど、この歌で歌われる輪島に対するエンケンの叫びは本物だと思う。僕らがサッカーを見て心を打たれるとすれば、こんな気持ちのありよう以外にないとさえ思う。僕は選手にサインをもらったりお話したいと思わない。アマラオが神様でも王様でもなく、一人の人間だということを知っている。だから彼が「例えタイトルがとれないとしても目指して努力することだけはやめたくない。」と語ったときいて、ショックを受けた。少なくとも僕が今年東京に対して持っていた感情は「八百長」以外の何者でもないのだ。「この戦力でこの結果なら十分だ」と納得し「優勝争いなんてまだ早い」と知ったようなことを言う。それは論理的には間違ってないかもしれないが、残り少ないプロサッカー選手として日々を、燃え尽きるほど真剣に闘いたいと思っていたアマラオのことなんてまるで知っちゃいなかったのだ。Jリーグという幼ないリーグの中で、知らないうちに馴れ合い、居心地のいい場所に安住しようとしていたのは、FC東京というチームだけの問題ではない。

 僕がサッカー選手に感情移入して感動出来るのは、たぶん八百長だらけの世の中のなかで、バカバカしいほど真剣にゲームする様が美しいと思うからだ。FC東京はそんな真剣さに溢れた試合をいくつも見せてくれたし、だからこのチームと感情をともにしようと思った。そしてアマラオがそんなチームの中でも特別だったのは、彼がピッチに降臨する神のように全能だったからではなく、チームに何かを、奮い立つような感覚をもたらす存在だったからだ。彼が諦めないなら僕も諦めない、なんてバカバカしくも思い込ませてくれたからだ。

 他人の気持ちなんて決して分からない。どれほど近づいたつもりでもまたするりと自分の手の中から逃げていってしまう。それでも人間は、感情移入することが出来る。それが映画の中の登場人物や、ミュージシャンや、サッカー選手でも同じこと。何度も失敗して、学んでいく。今回の出来事はまだ決着がついていないし、例えどういう決着が着いたとしても決して忘れてはいけないことだ。エンケンは引退してしまった輪島についてこう歌っている。僕にとっての輪島はきっとアマラオなんだ。だから・・。

でも君のその薄茶色の瞳は その真剣な薄茶色の瞳は現在・・・
歌ってるこの俺の胸の奥底でメラメラメラと燃えてる
どんなに目を閉じててもね!本当だぜ!

遠藤賢司『輪島の瞳』








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