|
FOOTBALL OR DIE No.62 |
| ブルースをけとばせ(またはサッカーを憐れむ歌) |
| 文/ビワコビッチ(2001.4.3) |
|
全くもってロクな週末じゃなかった。土曜日に僕は携帯電話をすぶ濡れにして、ぶっこわした。修理は不可能な状態。冗談じゃない。これは47000円もしたんだぜ。音楽が聴けるヤツなんだぜ。買ってからまだ4カ月なんだぜ。どうしてこんな目にあわなければならないんだ。なかなかに無駄な買い物だったと思ってたけど、その無駄に高機能な感じがとても気に入っていたのに。じゃあ後悔してるかって?確かに不注意で落っことしたことは後悔してる。でもきっと不必要に高価な携帯を買ったことは後悔してないような気がする。だってしょうがないじゃないか、欲しかったんだから。 全くもってロクな週末じゃなかった。土曜日にテレビで(必死で携帯電話を乾かしながら)、ジュビロ磐田とFC東京の試合をみた。FC東京は服部が蹴ったPKの一点を返すことが出来ず、磐田の地でみじめな敗者となった。グダグダのバックパスから、オタオタした土肥のキックで、高原に突っ込まれてのPK。その後はまるで、さあサッカーを嫌いになるんだ、と熱心に説得するかのような主審と、彼がまるで出来の悪いノイズバンドのギターのように鳴らしまくる笛のおかけで、寒い土曜の午後は更に冷えていった。東京のサッカーは洗練にも、泥臭い突撃精神にも無縁だった。ほんのちょっとの笑いと、抜けの悪い一生懸命さだけがピッチの上にはあったけど、僕のテレビに映るそれはあまりに遠くて、僕が感じたい熱狂はどこにもなく、ひどく疲れた気持ちだけが残った。 まあよくあることだ。一週間前のフランス戦のときもそうだったけど(僕は世間が騒ぐほどのことを感じなかったが)、一人でテレビで見る敗戦というのはとてもよくない。スタジアムで体験する負けは、無言の家路に着く多くのサッカー患者と共に歩くことで、なんとなく癒される。溜息をきいてくれる人がいるだけマシなのだ。テレビはくだらないおしゃべりや、ひどく癇に触るCMや、見たいところを写してくれないカメラや、その他もろもろで疲れを倍増させてくれる。それでも勝てばいいんだけど。 サッカーを見始めてから、僕が惨めな気持ちを味わった試合は、どう考えてみても最高に気分が良かった試合より圧倒的に多い。(実際にそうかは分からないけど、感触としてはそうだ)僕が出会った多くの同病者たちも、この素敵すぎる人生を謳歌する楽しげな人たちというよりは、この巨大なクエスチョンマークに見下ろされた世界で、あのボールと22人が織りなす90分間にただただ吸い寄せられてしまったどうしようもない人たちだ。幸福な人生と呼ぶには余りに悲劇が多すぎて、哀れと呼ぶには喜ぶ時の顔はどうしようもなく壊れまくっている。 僕は自分を憐れむような表現の類いがどうも好きではない。ああなんてダメなんだ!と嘆き、だってそれが僕なんだからしょうがないじゃないか、と開き直る。何かを始めようとする人を、どうせ無駄だよ、と馬鹿にして、自分は何もせずに天井を眺めて暮らす。それはどうしようもなく自分の中にあるものなんだけど、どうにかして捨ててしまおうと思っている。思ってない人は一生そうやって生きていけばいい。 だから僕は今日のこと文章を、ああ最悪の週末で、今週もまったく元気が出ないよ、サッカーファンなんてロクなもんじゃない、と言ってみることで、なんとなく自分を憐れな存在にまとめてしまいたいわけじゃない。冒頭の問いと、それに対する答えを真似るなら、敗北の惨めさは全力で遠ざけたいけど、そもそもサッカーなんかに興味がなければそんな思いをしなくていいんじゃないの?って言われたら「でもそうは思わないんだ」と真顔で言い返すのだ。だってしょうがないじゃないか、と威張ってさえみせよう。今更そのことを覆そうとは思わない。遅すぎることなんてない。確かにそうだけど、今の僕にはあまり当てはまらない言葉だ。そもそも、今日の僕は何かをまとめようという気がまるで無い。 「フットボールが、ただフットボールであったことはないのだ」とサイモン・クーパー「サッカーの敵」の序文には書かれている。歴史的、社会的、文化的にそれは確かなことだ。でもそれ以上に大げさな言葉も似合うし、極端に矮小化してもウソにならないのがフットボールだ。その存在の大きさを決めるのは、僕自身であって、戦術でも勝敗でも選手でもtotoでもない。 まだ憂鬱から抜けきれない月曜の夜。明後日の東京スタジアムには行けないかもしれないけど、今度の土曜日になれば、また僕は行くのだろう。分かったような、分からないような顔をして、あのアホみたいな青赤の煙突がある駅へ。あの煙突から煙がでて空にクエスチョンマークを描く。なんでここにはこんなに人が集まって来るんだ?と。「そんなもん知るか!」と悪態をつきながら僕は歩道橋をわたるんだと思う。
|