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FOOTBALL OR DIE No.64 |
| 「それほどのチームかよ」〜東京スタジアムで考え中〜 |
| 文/ビワコビッチ(2001.5.21) |
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気付いたら浦和の一件からもう一カ月。僕は中途半端に忙しい状態になってしまって、色々と書きたいことはあったのか、やっぱりそんなもの無かったのか分からない。結果として日々の生活にペースを握られてしまってこんなにも間が空いてしまった。その間に東京は最下位になったり札幌に勝ったり柏に勝ったりしてたわけだ。まあ、そんなことまあ大多数の人にとってはどうでもいいことで、だけど僕は市原戦のあとは一週間気分が悪かったし、柏戦のあとは本当に楽しかったりする。5月19日、福岡戦。このチームは未だに開幕戦しかこのスタジアムで勝っていないんだよ、ってことを再確認する為に僕は飛田給に向かった訳じゃなかった。結果としてはそうなった訳だけど。 映画「シーズンチケット」で忘れられないシーンがある。ニューカッスルのシーズンチケットを買うために奔走するガキ二人(でぶ君とちび君)。厳しい状況にどんどん追い込まれる。最悪の状況。だけどでぶ君には突然、彼女が出来た。するとシーズンチケットを諦めきれないちび君に向かってでぶ君は言うのだ。「それほどのチームかよ」と、吐き捨てるように。あれほど夢中になっていたチームに対して、突如発せられる侮蔑の言葉。これがなんともリアルで衝撃だった。それまで、それが全てだったはずなのに、他に愛するものが出来た途端に投げ捨てられるフットボールクラブへの忠誠。それは割と簡単なことなんだ。(まあ映画はその後にもなんやかんやあって、別にこのシーンが鍵になってるわけでもなんでもない。) でも僕はこのシーンがあるだけで、この監督のフットボールへのスタンスが良く分かったような気がする。「ブラス!」でも顕著だったのは「バンド(音楽)こそが人生の全てだ」という甘い言葉に対する、全力での否定だった。「音楽よりも大切なことがこの世の中にはある」とはっきり言ってみることでしか、浮かんでこないものがある。football is lifeとどれだけ爽やかに言い放ったところで、そこにあるのは真実の重さと言うよりはレトリックとしてのフットボールの「無価値」である。どんなに誤魔化してみたところで、「フットボールより大切なことがこの世の中にある」ということは事実なんだ。それをはっきりと、もしくは暗黙の了解として受け止めた場所だけが、football is lifeという言葉の本領を発揮出来る場所だと思う。福岡戦の後、僕は自分でもどうしようもないくらい落ち込みながら、ずっと「それほどのチームかよ」って言葉が頭の中で回っていた。何かこのチームは他所と違う、スペシャルなものがあるということを信じていたはずなのに、いつか僕も平然とそんなことを言うようになるかもしれない。そう思うとますます気が重くなった。 別に勝たなかったから、という訳ではないのだ。それよりもかつて僕が(と言ってもわずかに2年程前から始まったつきあいだけど)感じていたはずの熱のようなものが、どんどん希薄になっているような感じが嫌なのだ。ここから何かが始まっていくんじゃないか、自分たちで何か始めることが出来るんじゃないか、という甘くて壮大な思い込みが、少しずつ現実に飲み込まれて行くような感じ。日本のトップリーグにあがって2年目にして早くもその思い込みは崩れているのかもしれない。 でも僕は、とてつもなく悲観的になっている訳ではない。やっぱり試合を見に行くのは楽しいことだし東京だってまだまだ十分に変なチームだ。どんどん普通のチームになって行くかもしれないけど、奇妙な味を残した人々を一緒に乗せていけるくらいのキャパシティーはあるんじゃないか。東京スタジアムはまだまだ空席があるし、そこはまだまだ東京のサッカーを発見していない人達を待っているのかもしれない。すっげえ普通の人から明らかにのめり込み過ぎのヤバイ人まで、一緒にきゃあきゃあ言うことくらい平気な場所のはずだ。 totoで注目度がアップするだの、新スタジアムがぼこぼこ出来てその特需だとか言って、今年のJリーグは観客増が見込まれていたし、今までのところ実際その通りになっている。東京スタジアムも順調に客足は鈍って来ているものの、最終的には去年よりは多くの人を集めるだろう。だけどそんなことで僕は少しも楽な気持ちにはならない。ブーム的に集まった人達は、ちょっとでも熱を感じなくなったらすぐに去っていく。ワールドカップが終わったらそうなるのかもしれないし、チームがもっとボロボロになったらそうなるかもしれない。僕はそんな風な人をとても責める気はしない。だって東京という街には他にも娯楽は山ほどあって、サッカーだっていくらでも他のチームを見ることが出来るのに、わざわざ「FC東京こそがオレのチームだ」と言う人はどう考えてみてもちょっと変わってるのだ。僕はかたくなな忠誠心など人の心に求めない。でも同時に熱のあるところにだけ集まっていく虫のような行動もとる気になれない。僕が共感出来るのは、熱のないところに熱を作り出し、自分も他の人も引き寄せてしまうような場所作りに精を出す人だ。それが正しいからとかじゃなく、自分がそうありたいと思うだけのこと。 去年の今頃、名古屋に勝ち、磐田に勝っていたころ、僕は完全に調子に乗っていた。びっくりするぐらい甘い夢想を書き散らしている。今はとてもそんな気持ちになれないけど、きっと夢想だけは続いている。「ブラス!」で「音楽よりも大切なこと」に気付いたバンドの連中も、音楽から離れてしまったらその言葉を得ることは出来なかったはずだ。ニューカッスルに対して「それほどのチームかよ」と吐き捨てたガキも、まるで自分の家に帰るようにもといた場所を目指す。まさにそれが彼のホームグラウンド。好きも嫌いもないくらい当たり前の場所。もしfootball is lifeという言葉に幾分かの真実があるとしたら、それは対象物としてのフットボールではなくて仮想的な場所としてのフットボールのことだ。そこには沢山の辛い出来事が待っていて、ほんの少しの爆発的な喜びがあり、それを共に喜ぶちょっと変わった仲間がいたりするような。 そう、別にサッカーなんか存在しなくても、僕は十分に現実で惨めな思いはしているし、ごく稀には誇らしいような思いにかられることもある。だけど、そんなこと全てを真面目にいちいち受け止めていたらとてもやっていけそうにないと思うから、わざわざサッカーでそんな体験をするのかもしれない。僕は、失点してしまった後にボールを抱えてピッチを走り、センターサークルにセットする選手の姿がとても好きだ。厳しい表情をして、キックオフの瞬間に自らを奮い立たせるようにボールを蹴る瞬間、まるで自分がボールを蹴ったような感覚に襲われる。リーグ戦はしばらくの間中断になるけど、次のホイッスルがまた吹かれるのは確実なことだ。なんとなく(というか事実)、失点したまま迎える梅雨時のハーフタイム。暗い気持ちを振り払うようにしてボールを抱え、僕はセンターサークルに向かって走る。
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