FOOTBALL OR DIE
No.65
 世界まるごとHOW MUCH?
文/ビワコビッチ(2001.6.13)

 とんでもないタイトルである。あ、若い皆さん、昔こういう名前のテレビ番組があったのです。正に世界資本主義の繁栄を謳歌するような、日本のバブル期の象徴的のような番組が。別に僕が特別それを好きだったとか、司会の人が最高だったとか、そんなもんは何もありません。

 コンフェデレーションズカップが終わった。アジアカップ優勝国として出場した日本代表は結局考えうる限りの最高のパターンで日程を消化し、準優勝という結果が残った。フランスに勝つというのはやっぱりかなり無理な相談だったみたいだ。後半流されたのもやむなし。0-0のまま後半40分過ぎにラッキーなPKで得点、あとは根性で守る、くらいしか勝ちパターンが描けないレベル。とりあえずトルシエは隠そうともせずにその満足そうな顔をみせてしまっていたし、選手達の不満げな顔にはどこか義務的なものも感じてしまった。でもまあいいじゃないの、まだまだ続くってことだ。この物語は。

 それはそれでいい。僕は割と満足だ。カナダ戦はロジカルだったし、カメルーン戦は随分と素敵だったし、ブラジル戦は笑いさえあった。豪雨の中のオーストラリア戦もいい試合だった。「チーム」という感じがそこにはあった。寄せ集められた日本代表ではなく、来年の今頃には本当にファミリーのような雰囲気さえ出来ているかもしれないチームの雛形。それが見られただけでも良かった。

 そう、それはいいんだけど、ちょっと気になったのだ。これがワールドカップのプレ大会で、来年の今頃はワールドカップがこの国であるんだな、ということに気付いてしまったから。なんかワクワクしてたまらないというより、少し徒労感を感じるような気持ち。それは僕の生きる周囲の空気であり、テレビから発せられる空気であり、CMだ。

 まずはマスターカード。「初めての青いジャージ、5800円」「初めてのフェイスペインティング、1800円」みたいなヤツ(値段は適当)。凄く恥ずかしい、「健全なモデルとしての日本代表サポーター像」をぐいぐいと押し付けてくる。僕がもしサッカーに興味がなくて、このCMを見たら間違いなく代表を応援する気が失せる。こんなダサイ連中の仲間はごめんだし、おまけに来年はワールドカップで日本中が夢中になるんですよー、と笑顔で教えて貰ったりするとしたら、どうやっても拒絶反応が先に出る。天の邪鬼と言えばそれまでだけど、僕はそうなんだから仕方ない。

 次は東京海上、野村証券など。どうして自動車保険や投資信託でワールドカップのチケットが当たるのか理解できない。缶コーヒーでジャンパーや電話が貰えて、電話会社の選択で掃除サービスがプレゼントされる世界だから仕方ないのかもしれない。でもミスタードーナツで無意味なノベルティーが当たるのとは訳が違うのだ。だって当たるものは「ワールドカップのチケット」なんだから。僕は自動車に何の興味もないから自動車保険も関係ないし、投資も別世界だけど、「ワールドカップのチケット」にはとても興味がある。というか手に入れたい。保険が必要な人は保険が欲しいからお金を払うんでしょう、どうしてその人にサッカーとかいう球蹴り遊びのチケットをあげて、その球蹴り遊びのチケットにお金を払いたい、と願う人に売らないのか?そんなガキのような憤りを感じながら僕はテレビを見ていた。

 馬鹿だなあ、だってそれがスポンサーってもんでしょ、スポンサーがいなければ成り立たないのがサッカーだしワールドカップなんじゃないの?ワールドカップが金まみれになったのは昨日今日の話じゃないんだからさあ、仕方ないよ、と優しく諭されても僕の意見は変わらない。それは僕が頑迷だからじゃなくて、考えることをやめたくないからだ。どうしてこんな世界なんだ、という疑問は例え解決なんかしなくてもいいから発し続けなければならないと思ってるからだ。くそスポンサー関係者とくそ談合野郎たちと、にやけた太鼓腹の闊歩する日本戦、そして決勝戦。なんかあんまり元気の出ない光景じゃないか。

 僕は正直言って、そんなにどうしてもワールドカップのチケットを手に入れたいと思ってる訳じゃない。テレビでいい。それより僕よりももっと好きな人がいるだろう、もっと長くこの日を待ち望んでいた人がいるだろう、と思っている。僕は歳をとったとは言えまだ30前で、まあまだチャンスは沢山あるだろう。だけど僕がもう何十年もサッカーを見続けてきた爺さんで、多分生きてる間に日本でワールドカップをもう一度やるなんてないだろうな、と思ったらやっぱりどうしても欲しくなるかもしれない。そんな熱心さを持ち合わせている人を差し置いて、インターネットを駆使した若者や、コネクションだけのおねえちゃんや、スポンサー企業の商品購入であたった人にその権利が行くのはすごく嫌な風景なのだ。どうせ熱意のない人の分は闇マーケットにも流通するだろうから、そこが儲けるのも気にくわない。

 なんか今更なことを書き連ねてしまったけど、僕は来年が心配なんだ。逃げ出したくなるような気さえする。浮かれまくる日本中。テレビをつければサッカーサッカー。CMなんて食品だろうが電気製品だろうが、なんだってサッカーを題材に作れる。色んなモノに値段が付けられ、それでちょっとお金の循環は良くなるかもしれないけれど、それは経済の問題のなんら抜本的な解決にはなり得ない。「ワールドカップ景気」は捏造され、使い捨てられ、どうせ失業してる人はいっぱいいるだろう。きっとサッカーが好きな人は増えるだろうから、それは嬉しいことだけど、その代償としての耐え難い梅雨時の日々が待っているかもしれない。

 僕は祭りが嫌いなんだろうか?と思う。固いこと考えず楽しめよ、と言われたら反論出来ないかもしれない。でもね、本当の祭りってのはタマシイの解放なんですよきっと。理由もなく心が浮つき、体が動き、声が大きくなったりして、周囲は全て愛すべき人や風景になり、なんかふわっと持ち上げられるような感覚に襲われ、そして終わった後は凄く寂しいような、そんな本物の祭りの中に飛び込んでみたいのだ。周到に計算されたくだらない「イベント」なら間に合ってる。無理してそれでも楽しまなきゃ、なんて思うほど僕は貧しくないつもりだ。「これ幾ら?」ではなくて「どんな気持ちがする?」とみんなに問い掛けたくなるような、そんな一年後を望んでいる。








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