FOOTBALL OR DIE
No.66
 BIZARRE LOVE TRIANGLE
文/ビワコビッチ(2001.8.21)

 前にfootball or dieを書いてからもう2カ月が経っている。別に何か筆を折りたい(まあなんて大げさな言い方!)出来事があった訳でも、サッカーを見てなかった訳でもなく、ただ単に忙しいだけ。仕事でげっそりと疲れては帰宅し、週末のサッカーがある日には夕方まで仕事してからスタジアムに向かい、テレビで試合があればそれをビデオで眺めていたりした。東京の試合だけじゃない。オールスターも代表戦だって見た。7月は鹿島戦(ホームで勝った!)、ガンバ大阪戦(Mr.Inamoto,you can do it for Gunners!ってちょっと嘘やん)、そしてヴェルディと名古屋の試合(ピクシーの引退試合!)と3週連続で東京スタジアムに通った。そこではやっぱり色んなことがあったし、特にピクシーの最後の試合はやっぱり泣いてしまったし、そこに書き留めておきたい何かは確かに存在したのだけど、まあキーボードを叩くには至らなかったのだ。まあそんな大したもんを書いてる訳じゃないけど、それなりの集中力はいる訳で、それになんと言っても夏は暑いし。おまけにダルイし。僕も真夏の試合で選手に走りまくれ!なんて言えないし。

 2NDステージが開幕したら書こうと思っていたら、もう2節が終わってしまった。先週の土曜日は札幌でなんとも派手な点差で勝ったけど、ビデオで試合を観たらそんなに派手な内容ではなかった。野球場のような札幌ドームが少し悲しかったけど、なんと言っても尋常ではないアウェーでの勝率に苦笑いした。逆内弁慶。なんともややこしいチームである。4万人以上入らないとホームで勝てないらしいから、この分で行くと次の勝利は9月末の浦和戦ということになる。それは勘弁して下さい。

 細川周平の『サッカー狂い』を読んだ。1989年の出版で、最近再発されたものだ。とても素敵な本で、これは既に作者の意図した通り「サッカーについての書物」の域を超えている。本そのものがサッカーであるかのような、その構成、断片、ノイズ。このテキストの中には真摯な態度があり、一瞬のひらめきがあり、インテリジェンスがあり、サッカーを取巻くノイズがあり、そして何よりサッカー的な遊びに溢れている。文体や用語がいかにアカデミズムのそれであっても、そこにあるのはあくまでサッカーのリズムであり、反復であり、転調であり、展開である。もしかしたら僕も文章でもって、こんな風にサッカーになってしまったものを書きたいのではないか?と思った。そう、僕がこのコラムを書くにおいて、万が一目標があるとしたら、それはサッカーについて書くことではないのだ。文章そのものがアンプのようにサッカーと一体化して、その音を増幅するような、そんな風なものをいつかは書いてみたいと思った。対象についてああだこうだと論じるのではなく、対象に絡み付き、同化し、そしてそれを異化し、それがハーモニーになるのかノイズになるのかはその時次第。そんな風な。


 後書きにこんな文章があった。

「サッカーボールのように生きたい、サッカーのようにすばらしい人生を生きたい、ぼくは本気でそう思っている。ボールに革と空気しか見ないのは人の身体に炭素と水分しか見ないのと同じだ。生が心臓の鼓動から始まるとはいえそれが全てではない。僕らは恋愛をし、食事をし、喧嘩をし、居眠りをし、通勤をし、欠伸をし、手紙を書き、ビデオを見、洗濯をし、歌を歌い、そしてボールを蹴って生きている。ボールもまたゲームの中では皮革製品なのではなく、まさに生きるのだ。」


 僕は立ち尽くしてしまうような感覚にとらわれた。僕はどうしてさも当たり前であるかのようにサッカーを見に行くのだろう?ビデオをセットしているのだろう?インターネットでブックマークを開くのだろう?未だロクに蹴られていないけど、僕のアパートのドアノブにはサッカーボールがぶら下がっているのだろう?なんだかそんな日常が全て眩暈のするような「理由」として目の前に迫ってきたような気がした。きっと僕はサッカーのように生きたいだ。なんでそんな珍妙なレトリックに嵌ってしまったのか分からないけど。

 8月11日の東京スタジアムで、そこには素晴らしいゴールがあった。中盤での泥臭い守備から、目の覚めるような速攻での得点が二つ。そこには美しい三角形があった。一点目。ケリーが、アマラオからスペースに出たボールをスピードに乗ってペナルティエリアまで運び、横を向く。そこには全力で走ってきた三浦文丈がいて、その更に先には佐藤由紀彦がいた。三浦の指示なのか、ケリーの感覚なのか、ボールはファーへ送られ、ワントラップの後ゴールに吸い込まれた。2点目、喜名がプレスし、ケリーがスペースに出したパスからエリア内に高速で切り込む由紀彦。完璧な切り返しからゴール前に送ったボールは今度はケリーによってゴールされた。うん、なかなか素敵じゃないか、とニコヤカに眺める余裕はなかった。ケリー、文丈、由紀彦の三角形、ケリー、由紀彦、ケリーの三角形。美しい逆襲。敵にとっては最悪のチームだ。そう思ってロスタイムが過ぎるのを待っていたら、最後にオチが待っていた。大野、渡辺、柳相鉄の一瞬。ハーフウェイラインから、ゴールまでの巨大な黄色の三角形。大野のパスが描いた巨大な一辺は、アマラオの拳を地面に叩き付けさせた。脱力感と、その後の延長され、弛緩した時間。30分待って、はい終わり。

 もう何度体験したか分からないけれど、でも慣れることのないこの瞬間。ロスタイム、という曖昧な時間の中で、ボールはその他の90分と同じように弾む。その物理的な運動に、なぜか僕らはさらわれ、嘲られ、祝福される。きっとこれからも何度もこんなことが繰り返されるに決まっているのだ。それでも僕らはその場に赴き、何かを得ようとする。殉教者のように、というのは言い過ぎだ。サッカー教の信者は余りにも悪ふざけが過ぎるし、運命を受け入れたがらないし、平気で神を冒涜する。足、ボール、ゴール、それは滅多に一直線に並ばずに、常に分断され続け、その線は取り消され続ける。でも一瞬、それが結びつき、その場にいるもの全てを蹴っ飛ばす。僕はその光景を見るたびにいつも、何かを受け取り、何かを失くしているような気がする。その代謝が、なんとも言えずいい感じなんだ。分かって貰えるだろうか?


Everytime I see you falling
I get down on my knees and pray,
I'm waiting for that final moment,
You say the words that I can't say.

New Order "BIZARRE LOVE TRIANGLE" 1986






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