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FOOTBALL OR DIE No.67 |
| It's The End of The World as We Know It (and I feel fine) |
| 文/ビワコビッチ(2001.10.9) |
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10月7日深夜。日本代表とナイジェリアの試合が終わって、ぼーっとしながらネットに繋いでみると、空爆が始まったらしいという話題が出ていた。もうあの事件から一カ月が経とうとしていて、僕はあい変わらずロクにニュースも知らない状態で毎日働き、友達に牛肉を腹いっぱい食いたいと言って狂牛病に対する意識が無さ過ぎると糾弾されちまうような、まあ考えようによってはのんきな毎日を送ってるのかもしれない。ミサイルや、武装した兵士や、家族の無事を祈る人の気持ちや、遠い国の遠い話は、僕の狭いアパートと職場と、レコード屋と本屋と古着屋とビデオ屋と飲み屋と、そんな程度の行動範囲に何らかの影響を及ぼしてなど来ない。アリーマイラブの再放送の日程が変わったくらいかもしれない。 そう、一カ月も経つと麻痺してくるんだ。とんでもない事態にも、狂ったように戦争に向かう人たちにも、熱心に話す人にも無関心な人にも。全てどうあっても僕は麻痺してるから大丈夫。「行動範囲が君の思考を固めてる/報道機関が優しく君を包んでる」とその昔ニューエストモデルが唄っていた。まさにその通り。テレビを見ていて、くだらない雑誌や新聞を読んでいればいい感じに麻痺出来るし事実僕はそうなってる。毎日呆れるくらい勤勉に仕事をこなし、それなりに忙しい。週末も休みがとれれば嬉しい。(僕の基準で)カッコイイと思う靴を買って満足したり、部屋の掃除をしたり。CDを聴いてぼーっとする。 だから、ちょっと前に心が震えたことを書いておこう。僕は麻痺しつつあるけど、サッカーを見ているときは少し正気になっているのかもしれない。ヘンな話だけど。あんな空間の中で、現実と接点を持っているのかもしれない。 それは東京スタジアムでのことだ。9月15日の広島戦。試合の直前に黙とうが行われた。僕は立ち上がって目を瞑り、ただ時間が過ぎるのを待とうとした。でも目を開けた瞬間、その目の前に広がっている光景に打ちのめされて、冗談じゃなく少し泣いてしまったのだ。十分な気恥ずかしさを持ちながら書かせてもらうと、実際はこらえていたけど、相当キテた。目の前にある緑のピッチ。両チームの選手達。審判がいた。アマラオいた。久保がいた。そして客席に沢山の人。みんな立ち上がって黙とうをして、これから始まるゲームの行方を気にしている。そんな光景に、なぜか言い表せないような衝撃を受けたのだ。何千人死のうが、戦争が始まるかもしれなくても、それでも僕らはサッカーに来ることをやめない。選手達もやめない。秋の夜の空気は少し肌寒いけど、まだビールは相当美味しくて、僕はここで2時間後には打ちのめされているか、とてもいい気分かになっているはずだ。そんな風に思うだけで、もう試合を見る前から、今日ここに来て良かったと思った。2万人行かなかったかな?その位の人達は(小さな子供を除いて)おそらく一人残らずテロのことを知っている。沢山の人が死んだことを知っている。これから更なる不幸な事態が起こりえることを知っている。でも彼らは電車や車やバスや自転車や、或いは徒歩でここにやって来て、これからサッカーを観るのだ。その圧倒的な事実。その「感じ」は上手く言えない。でもそれを感じることが出来てとても良かったと思った(試合も勝ってとても良かった)。 そして9月29日の浦和戦。東京のゴール裏には急ごしらえらしい大きな横断幕に「Imagine All The People Living Life in Peace」と「イマジン」の一節が書かれていて、やっぱり僕は東京のゴール裏好きだなあと思いつつ、エメルソンはえー!とか言っているうちに試合は終わって、なぜだか分からないけどきっちり勝ったりして、やっぱり随分気分が良かったのだ。もう泣くようなことは無かったけど、でもゴール裏の言葉がイマジンの歌詞だと気付いた瞬間はやっぱりハッとするような感じがあって、マッチデープログラムのアマラオのインタビューにはテロに心を痛める彼の言葉があって、そう、僕らはあの冗談みたいな悲劇の現場と同じ現実の中にいるのだと気付かされる。ツゥットがエメルソンがどんなに頑張っても、城定が由紀彦がどんなにいいクロスをあげても、アマラオがズドンとゴールを決めても、現実は変わらない。変わらないけど、僕は彼らに勇気を貰うのだ。テロと断固として戦い、悪を殲滅する勇気ではない。善と悪の戦いだ、自由を守る戦いだと茶番を演じてみせて、本物の血を流させる勇気ではない。もちろん抽象的にアメリカを憎悪し、自爆する勇気でもない。現実を受け止める勇気、ただそれだけ。 東京は結構負けてなくて、実は3位だったりして、ジョン・レノンばりの夢想家たちは優勝だなんて言い出す始末だ。you may say I'm a Dreamerって感じだろう。僕はそんな夢想を、半分笑い飛ばしながら半分付きあって行くつもりだ。このまま勝ち続けてくれれば僕はずっと気分がいいはずだ。戦争はもっと激しくなったり、日本もまるで勇気がないと思われたくない新米の不良少年のようにそこに参加していったりして、息苦しい感じは今後続くだろう。でも僕は忘れないだろう。あの黙とうの直後に見た風景を。日本、東京都調布市。東京スタジアム。バックスタンドの一階。近くには子供連れ、若いカップル、老夫婦。多分アメリカ人もイギリス人も。そして僕がいた。美しい緑のピッチに22人の選手。彼らは/そして僕らはサッカーの中にいる。サッカーの外にもいる。キックオフの笛。誰かが誰かを憎む。ボールがセンターサークルから動きだす。飛行機がビルに突っ込む。素晴らしく美しいパスが繋がる。空爆が始まる。最高のゴールに跳び上って喜ぶ。これが現実だ。僕の生きている世界。 That's great, It's starts with an earthquake Vigin snakes and airplanes Lenny Bruce is not afraid Eye of hurribane,listen to youself churm world serves its own beat regardless of you own needs ・・・・・feeling pretty psyched It's the end of the world as we know it It's the end of the world as we know it It's the end of the world as we know it And I feel fine R.E.M. "It's the end of the world as we know it (and I feel fine)"
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