FOOTBALL OR DIE
No.71
 Are You Passionate?
文/ビワコビッチ(2002.5.8)

 ああ、あんまり調子のいいこと書くもんじゃない。優勝しちまえ!東京、なんて書いてたのは遠い昔。その後の東京は順調に順位を下げ、優勝なんて恐れ多くて言えないくらいの位置にきてしまった。だけどまだ割と平気。なぜなら自分の目の前で負けを見てないから。3敗は全てアウェイで、ナビスコも含めてホームでは未だ負けてない。今日はナビスコ予選リーグで神戸にJ1昇格以来初の勝ち。過密日程の割にはなかなか楽しめたゲームだったし。まあのん気と言えばのん気な感じだ。

 そして今度の木曜日の試合を見たら、その後はアウェイで清水戦。それでナビスコカップの予選リーグも終わり、ついに日本のサッカー界はワールドカップモードに入る。7月まで、国内のリーグ戦、カップ戦は完全休止。全てはワールドカップのために。

 そして、どうもそのモードに入り切れていないのが僕のような人間だ。なんというか、微妙な違和感。ワールドカップモードに入ることへの違和感。「次は『サッカーの』ワールドカップのニュースです」というテレビからの声への違和感(すぐフーリガン特集するテレビへの殺意)。中村俊輔が代表入りするかどうかという騒ぎへの違和感、なぜか微妙にトルシエを誉め殺し中のスポーツメディアへの違和感。(セルジオさんだとか、カネコ某だとかラモスとか論理的スキルの低いトルシエ批判がマスの受けが悪いと見るや、中途半端なポジションに。どうせなら最後までエメ・ジャケ叩き続けたレキップのような気骨はないのか)あとその他もろもろ。チケットへの違和感。サッカー漬けのコマーシャルへの違和感。微妙な違和感はきりがない。まあ別に気にせず楽しむつもりだけど。

 ひとつはっきりしているのは、未だに我々はうまくサッカーを語るやり方を身に付けていないのだということだ。みな語っているのはサッカーをやる「人」についてだけ。トルシエとかナカタとかシュンスケとか、そんな個人レベルであることないこと物語を捏造し、持ち上げ、落とすを繰り返すだけ。芸能界となんら変わらない適当で陳腐なストーリー仕立てのワールドカップ物語。シュンスケ落選ならお涙ちょうだい。活躍したら即スーパースター。勿論「人」のドラマだって嫌いじゃない。それはそれで面白いもんだ。だけどサッカーに陳腐な物語性を導入しなければいけないなんて誰が決めたんだ?代表落ちから這い上がった俊輔、トルシエと「和解」した中田、幾多の苦悩を経て帰化したアレックス・・・まあ、そのほとんどのテキストや映像は、サッカーの本質に関わる何も映していないだろう。みんな本当に信じてる訳でもあるまい、スターシステムを。そして気付いているはずだ、サッカーの美しさの本質は、「個人」を超えてしまっているということに。そして更にワールドカップは、個人を超えた力を獲得してしまう場であるということに。映画をキャストだけで語るような浅はかさとは、なるべく早いウチに手を切った方が良い。個人を含めたあらゆることが複雑に絡まりあって、ボールに魔法をかける(かからないときだって、勿論ある)。たぶんそれがサッカー。

 もうひとつはっきりしているのは、今の「日本代表」サポーターに僕は「属して」いるのか、と問われた時の、態度の取りにくさだ。即座に否定するのもなんだか違う気がするし、かと言ってイエスと胸を張って答えるほどの熱意を代表チームに持っているかと言われると口籠ってしまうからだ。そのなんともいえない「はっきりしない感じ」は、先週の国立競技場ではっきりとたち現れた。偶然譲ってもらったチケット。スロバキア代表を迎えての親善試合。若くて元気で「日本代表」が大好きな集団たち。サッカーよりも代表チームが好きな感じ。稲本に俊輔にキャーキャー言っても構わない。別に黄色い声を全否定する訳じゃない。きっとあのうちの何割かは本当にサッカーにとりつかれてしまうはずだから。今は初期症状なだけ。だからあんまり偉そうに「アイドルのコンサートじゃねえんだからキャーキャー騒ぐな」とか「写真ばっかとるな」とか「選手のアップじゃなくて試合全体を見てくれ」とか言ったり思ったりしないようにしようと思った(まあ正直かなり思ってるわけですが)。何がきっかけでも構わない。きっと彼や彼女らのうちの何人かは、きっと友達になれる人だろうと思う。だけど大多数は、多分何かが根本的に違う。

 僕が今まで見た中で、本当に鳥肌が立つほど震えがきたのはフランスワールドカップ、アジア最終予選の第1戦、日本とウズベキスタンのキックオフの瞬間だ。1997年9月7日。国立競技場午後7時。カズと城がキックオフ直前のボールに、魂を込めるように頭を近付けた。なんとも言えない地響きのような声と、沢山の紙吹雪。そこにはとんでもない緊張感とワールドカップへのあふれる熱情があった。開始わずか5分でカズのPKが決まるまで、全ての日本のボールタッチに祈りが込められ、相手チームのやること全てに呪がかけられた。あれほどに濃密な時間を知らない。

 それを超えるのが、きっと今年の埼玉スタジアムでの日本の初戦になるんじゃないかと思っていた。僕は見に行けないけど、これほどのチケット争奪戦を勝ち抜いた人たちの熱情たるやきっと5年前を凌駕するに違いないと。だけど国立での様子を見たら、ちょっと自信がなくなってきた。平和な顔をした彼や彼女ら。かわいらしいブーイング。律儀な応援団スタイル。ワールドカップの日本戦手に入れる為に、スポンサー企業の商品買いまくって、親戚の名前使いまくって、電話しまくって、ネット上でクリックに魂込めて・・・もしこないだの国立のようなユルユルの「代表大好き集団」に埋め尽くされるのなら、それはまた違う空気なんだろうな、と思う。健康的で、ひねくれたところのない、まっすぐな日本代表への思い。決して嫌味で言ってる訳じゃなくて、それはそれで面白いんじゃないかと思う。世界で類をみない品の良いサポーター。ほのぼのした日本的「ホームチーム」の利。そんなのあるのかどうか分からないけど。

 ああ、でも別にどうでもいいことなんだ。本当にそう思う。サポーターがどうとかなんてどうでもいい。評論家が何を言うかなんてどうでもいい。テレビのフーリガン特集なんてどうでもいい。ラモスがまた怒ったら多分笑える。多分僕が見たいのは、サッカーだから、どんなに心配しようとそれが6月、日本と韓国にあることは間違いないのだ。本当に大事なのは自分が得るもの。どう伝えられるか、どう他人が感じるかなんて後回しにしよう。

 ほとんど話題にならないナビスコカップの予選リーグ。そこにもサッカーの魔法は生まれているのかもしれない。平日の夜、ガラガラの東京スタジアム。小雨。ヴェルディと東京の試合。宮沢のコーナーキックは直接ゴールに吸い込まれた。その二日後、中村俊輔が同じようなゴールをホンジュラス戦で決める。同い年のレフティーの同じようなゴール。一方は日本中で報道され、一方は5000人ほどの人が見ただけ。僕はそんな事実について考えるのがなんとなく楽しい。いろんなゴールがあって、いろんな思いがある。宮沢が不幸で俊輔が幸福って単純なもんじゃない。今日の神戸戦で、途中出場したカズには東京側からも大きな拍手が起こった。カズは元気にフェイントしてた。あんまり意味のないところで。サッカーをプレーする楽しさがあり、それを見る楽しさがある限り、カズも宮沢も不幸じゃない。中山も名波もピレスもロマーリオも不幸じゃない。そんなことを考えると、すごく気が楽になる。なんだか少し緊張しつつ開幕を迎えようとしていた自分に気付く。嫌悪感や違和感ばかりを増幅しても仕方ないと気付く。日本代表に対する熱情が今ないならないでそれを認めよう。そして静かに待てばいいのだ、6月4日を。その日の僕は、一体どんな気分でいるだろうか?






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