半島を出よ(下)

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「半島を出よ(下)」読了。
半島を出よ (下)

政治というものは、必ず多数者の為に少数者を犠牲にする選択を強いられるものだ、ということ。そして教育というものは、そういった場合常に多数者に服従するべきであるということを、人間という生き物に徹底的に教え込む重要なプロセスであるということ。経済のお勉強と、北朝鮮関連のお勉強は、決して近未来の日本をシミュレーションしてみせる為だけではなく、そういった装置を良い悪いではなく描いてみせる為だったのだろう。

テレビでこの作品が話題になっていた。みんな北朝鮮が日本に攻めて来る、という部分にばかり反応している。違うんだよ、そこじゃなくて、この戦いが決して日本と北朝鮮の国家同士の戦いにならないことにこそ注目すべきなんだ。逸脱者と順応者の戦いにロマン以上のものを探そうとしているのがこの小説なのだろう。

最後のカタルシス(村上龍作品には珍しい)は、この作品を限りなく分かり易く終わらせる役割を果たしている。

いろいろと印象に残った箇所のメモ。

交渉とか、逮捕とか拷問とか、それに資金移動とかね、対外宣伝とか、すごいやつがきっといるんだよ。それで恐ろしい訓練を受けてる特殊部隊がいてさ、豊富な資金も手にしたわけだから、九州の田舎の役人なんか相手にならないよ。でもね、あいつらそのうち必ずボロを出すよ。教養がないからね。ポル・ポトもナチスも最後は教養がなくて負けたんだから。
統治や政治というものは、力の弱い少数者を犠牲にする装置を最初から内包しているのだ。集団や軍や国家の均衡がとれている間、その装置は穏やかで目立たない。だが危機に際して装置は稼働し、必ず少数者が犠牲になり、少数者に組み入れられることを誰もが忌避しようとして、その瞬間隠蔽されていた退廃が露になる。
小学2年生になったある日、シノハラは幼稚園のころに作ったレゴの作品を手に取ってみて、不安にとらわれた。・・・それらをロケットやショベルカーやロボットだと認識するためには約束事のようなものが必要だった。実際には突起と穴があるただのプラスチックの小さな箱を寄せ集めたもので、それをロケットやショベルカーやロボットに見えるように組み立てる、というような約束事があったのだが、それが急にシノハラの中で壊れて消えてしまった。レゴで作られたロケットやショベルカーやロボットを眺めても、突起と穴のあるプラスチックの小さな箱しか目に入らなくなった。
大事なのは、今のヒノやタケグチみたいに、やらなければならない何かを見つけることだ。何もすることがなければ、腐ったものを見続け、腐った大人たちの言うことを聞き続けることになり、そしていつの日か大人に下以外指示通りに生きたところで何の興奮もなく、楽しくもなかったということに気づき、ネットで仲間を募集して自殺するか、ホームレスになるか、あるいはあきらめて大人の奴隷になってこき使われて、それで一生を終わることになる。
わたしはもう八十三だから、いつ死んでもおかしくないんだが、この歳になってね、また新しい悪夢を見るのはまっぴらだったんだ。

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このページは、biwacovicが2005年5月 3日 00:43に書いたブログ記事です。

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