信頼
広島の小学生殺害。容疑者逮捕のニュースを見ながらiBookに向かっている。
11月も今日で終わり。仕事はとても落ちついていて、ひたすらダラダラしていたような気がする。
耐震強度偽造の事件もそうだし、この殺人事件もそうだけど、圧倒的な「他者への信頼の喪失」を目の当たりにした人々は皆、監視・審査の強化、危機意識の向上を口にするしかなくなってしまう。子供を一人で学校から帰らせるわけにはいかないから集団下校。防犯ブザー、携帯電話とGPSで子供の位置を把握。そのうち裕福な親は子供にボディガードをつけるだろう。つまり「他者への信頼」で成立していた低コストな社会が、高いコストを支払うようにシフトし始めているということだ。
本来、人類の進化の方向は、テクノロジーの進歩/教育の進歩で、どんどんと、こういった「安全」に払うコストを削減してきたはずで、その分だけ人間は随分とバカバカしいことに夢中になったり、つまらないことに人生の大半を費やしたり出来るようになった。暗闇の中の野生動物に襲われる危険はなくなり、代わりに思う存分だらだらとマンガを読んだり出来るようになったわけだ。それなのに今、またもや安全を確保する為に多くのコストをかける方向に進み始めているというのはどういうわけだろう?皆が銃を持つような社会は馬鹿馬鹿しいと分かっちゃいても、自分以外の全員が持っていたらどーすんだろ?
社会への信頼を支えているのは、おそらくは1)精度の高い教育、2)思考・欲望・モラルの標準化、3)それらに対する権威付け・・だと思うんだけど、おそらくこれがどんどん壊れてきてるんでしょうね。ニワトリが先か卵が先かになっちゃうけど、それが上手く回せなくなれば、当然のように安全確保が優先事項になる。
まあ個人的な嗜好で言えば、安全確保にコストをかけるよりも、教育/標準化を重視する方がいいとは思うんだけど、それは容易いことではないんだろうな・・・と思いつつ。
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