呪文
集団生活の男
東京都東大和市の民家で、多数の女性と不自然な集団生活をしていた同市芋窪2、無職渋谷博仁容疑者(57)が26日、逮捕されたが、2000年ごろから集団生活を始めたとされる同容疑者は、これまでに10人の女性と延べ12回の結婚をしていた。
モテる呪文を使って10人の女性と同居していたおっさんが「恐喝」容疑でいきなり逮捕されたらしい。その「恐喝」の度合いが分からないけど、明らかに報道のされ方は「恐喝」ではなく「不自然な集団生活」に重心がかかっている。あたかもそれが「悪いこと」であるかのようだ。軽々しくマインドコントロールなんて言葉まで使われる始末。
あとライブドアの事件。ライブドアを違法と断定するなら、その他多くの企業はいったい・・なんてことはいまや株をやってるらしい小学生だって感じているかもしれない。これも「粉飾決算」よりも「株価つり上げ」が絶対悪であるかのようだ。灰色も言い切っちゃえば黒になるということか。
つまりこういった「悪いこと」の判定は、何かよくわからない「偏り」の結果であるということが言える。
人間にとって最も恐ろしいのは独裁者でも軍隊でもなく、「大衆」である。大衆と言うと自分はそれに属してないようなニュアンスがあって鼻につくかもしれないが、もちろん自分自身もある程度は属する「大衆」という名の集合のことを言っている。People Have The Power!!とパティ・スミスが髪を振り乱して歌うときの"People"は、皆で助け合い愛し合う理想的な意味での人間の集合体だが、一歩間違えばその集合体は、極めて暴力的な装置になる。異物の排除、モンスター狩りを最もうまくやってのけるのは、一人のスーパーヒーローではなく、姿かたちのはっきりしない「その他大勢」なのだ。
ほとんどの人間にとっての恐怖は、いつ自分がモンスターと扱われてしまい「排除する側」から「排除される側」に回るかもしれない・・という不安からくる。その不安を取り除くには、出来るだけ自分は「大勢」と同調出来るという能力を磨く必要があり、価値判断の基準がある一定の「枠」をはみ出さないように細心の注意を払うべきなのだ。(「枠」をはみ出して且つ「面白い」モノは、異能として評価されトリックスターになることが出来るかもしれないが、やがてその異能自体が「標準」に認知されるか、もしくはやはり異物として排除されるかのどちらかの運命を辿る)(「芸能界」はその構造が最もわかりやすく見えるところだから、みんなテレビを見続けるのだろう)
そしてわかりやすい「排除」は実に堂々と行われる。それは正義と呼ばれることも多い。
ライブドアの事件や一夫多妻男の逮捕事件から思うのは、そういった構造が余りにも剥き出しになりすぎているな・・ということ。そしてその現れ方に品性のカケラもないな・・ということだ。いろんな意味での余裕がなさ過ぎる。皆が規範から外れることを監視しあい、貶めあうような状況は(ある程度は社会の維持の為には必要なことだけど)、息苦しいし何より全く「面白くない」のである。
※いろんな暴走を止める為に法律があるじゃないかと言うかもしれないが、「法律」はそういった多数からの支持によって解釈が正当だと認められた場合に、余りにも無力だ。(それは言葉が無力だということとある程度同義である。)言葉とは結局のところ、発する側と受取る側の共通理解に依存するものだから、受取り手が「こう感じる」と言えばそれは一つの「真実」になってしまうのだ。むしろ法律は今回のような場合に有効に活用されて、簡単に人を「有罪」にすることが出来ることを証明してしまった。
・・・なんてことを考えていた一日。とりあえずモテる呪文を是非公開して欲しいものである。それさえあれば世の中もう少しハッピーになるかもしれない。
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