2006年8月アーカイブ

水曜日。8月はあまりに仕事し過ぎだったので、休みの一日。朝から洗濯して買い物して映画行って夜はサッカー。国立競技場。

開始早々、左サイドからきれいなボールを上げる名波。それでゴールが決まり喜びの輪に飛び込むでもなく早速給水する名波。。。その後も試合中には自由に、まったりとゲームを支配し、時には手を叩いて味方を鼓舞し、コーナーキックでは危険なオーラを発し続けた。まあ名波を満喫しているわけには行かないので、さっさと東京もゴールを決めてくださいと思っていたら、ゴールを外し続け、そしてミスから失点し、あーあというかやはり何もかもが急に変わるなんてことはないわけで、なんか既視感のある感じではあった。ビール1リットル飲んで、怒って渋谷まで歩いちゃう人をなだめてたら、まあいーかという気にはなった。俺は新宿で更に飲んで帰宅。

I Am Not Afraid of You and I Will Beat Your Ass

ヨ・ラ・テンゴの新作、日本盤を買った。素晴らしい。いつもヨ・ラ・テンゴを聴きながらいいなあ・・と思うことの一つが、なんとなく聴きながら良く眠れる音楽だということだ。誉め言葉にならないのかもしれないが、どれだけノイジーな曲であろうと、その浮遊感にやられてしまう。いきなり10分を超える1曲目から、最後まで一貫して、なんだか「ぼんやり」している。

目が覚めるような鮮烈な体験をしたい。圧倒的な幸福感や高揚感に包まれたい。涙が枯れる程泣いてみたい。。音楽を聴くときに、もっぱらそんな極端な感情を僕らは疑似体験したいと思ったりするわけだが、ヨ・ラ・テンゴのアルバムはそんなことよりも、人生の多くの割合をしめる、「ぼんやりとした時間」をなんとか切り取ろうとしているように思う。タイトルだけはテンション高めだが、基本的には遠い目をして、もしくは目を閉じながら聴くものなのである。

仕事ばっかりやってた8月だが、そろそろ落ちつくはず。いやそうなって貰わないと困る。

土曜日。花火を見るんじゃなくて、「花火をする」なんて何年ぶりだろう。それなりにはしゃいでしまった。ちょうどその頃、FC東京はアウェイで清水にやられていたとも知らずに。酔っぱらって帰って、日曜日は仕事。

このところの仕事上のストレスにより、以下の症状が見られる。
1.酒量の増加。外でも家でもビールばっか。
2.時間があるとやはり料理。先日は意味も無く、モツカレーを3時間くらいかけて作ったが、「なぜカレーにモツを入れたいと思うのか分からない」と言われてしまった。それはオレも分からない。
3.買い物。主に洋服。・・・しかも真夏なのに、今一番欲しいのは某ブランドの・・・やめた。予約してから書くことにしよう。

まあ、とにかく、色んな意味で変調をきたしているのだが、これが涼しくなったら治るのかと言ったら、それはなんとも言えないなあといった感じだ。

久々の国立競技場。

藤山、J1初ゴール。1999年の駒沢でのゴールを観ていない(当時はほとんどホームゲームは皆勤だったんだけど)ので、「生まれて初めて」藤山のゴールを見たことになる。まさか2006年にそんなことが起こるとは思っていなかった。なんかそれだけでニヤニヤしてしまっていたのだが、後半も容赦なく加点したという試合。藤山のお立ち台がこれまた面白かった。「ミスター東京」って。

仕事の日々。土日も仕事。誕生日の夜だけは、ちゃんとしたとこに食事に行けたが、真夏の中を猛烈過ぎるほどに働いている。ストレスで食い過ぎているようで、腹がまた出て来た。くそう。

夏休みなんていつになったらとれるのか分からない、というと大げさだが、真夏の中を昼夜逆転したりしながらバタバタと仕事ばかりしており、そん中で「うつうつひでお日記」を読んで少し癒されたりしています。

うつうつひでお日記

とんでもない読書量(自分も読んだ本について言及されてると少し嬉しい)と、意味なく挿入される美少女のカット。アイス食って本読んで仕事して飯食って煙草吸ってうつになって寝た・・・の繰返し。日記とはこうゆうもんだ、と思う。ただこの日記に唯一ある「オチ」が、この時期に書いていた「失踪日記」の出版後の大ヒットだった・・・というのは出来過ぎだが、やはり少しくらいは日常からの跳躍があった方が読者というものは安心するのだろう。

あーあ、仕事行こう。

今日って何日だっけ?そうか17日か。発表されてから2日たって言及するというのも、この性急な世界においては遅過ぎるのだろう。FC東京はシーズン途中での監督解任とかとは無縁だと思っていたのだけど、それだけ「普通のチーム」としての道を歩んでいるのかもしれない。いいにしろ悪いにしろ。

僕は正直に言うと、サッカーについてのあれやこれやを政治的な正しい/間違っているという語法や、純粋に技術論的な語法に置き換えて語ることに興味がない。というかそのような興味を持ちたくない。もっとサッカーとは科学的であり、同時に情緒的なものだと思っているからだ。つまり、突き詰めて言うと天気の話をするようにサッカーの話をしたいので、「ガーロ監督解任だねえ」「そうだねえ」というしかないのである。

ただ同時に、僕は政治的な語法や、分かりもしない技術論にも絡めとられてしまっているので、やっぱり色々と考えることはあるのだ。言いたいことも沢山あるのだ。でもね、そういうことを書くことにパワーを使うくらいなら、天気の話をするようにサッカーのことを考えていたいな、と思うわけです。とりあえず頑張れ新しいチーム。

俺は電気

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朝、シャワーを浴びてたら急に水になった。不審に思って風呂からでると、テレビが消えていて、ビルの外で近所の人たちが大声で話しているのが聞こえた。ウチには電池で動くラジオもないし、インターネットもAirMacの電源が入らないから繋げない。何がなんだかわからなかったが、停電だということは分かった。しかも結構長かった。

聞けば近所の信号なども消えていたらしく、うちの近くでは老人たちが何をするでもなく心配そうに集まって、アイスコーヒーを飲みながらウロウロしていた。電気がないと、何にも出来ない。人間は圧倒的に無力なサルになる。もしこれが1日中続いたりしたら、相当なパニックになるだろうな・・・と思いながら仕事に行った。仕事場は全く問題なく電気があって、なんだかそれだけでほっとした気分になったりした。まあそういうものだ。

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土曜日。サマーソニックに行ってきた。フジロックに7年通ったのだが、今年はお休みしてサマソニにしてみた。

ウチから1時間ちょっとで幕張に着いた。フジロックに比べるとなんとお気楽なことか。軽装でいいし、宿泊費もいらないから金もかからないし、トイレは仮設じゃないし、まあこれぞ都市型フェスという感じだ。そして予想はしていたが客が若い。ガキばかり。むー。

朝イチで観たもの。JOHNNY BOY。男女デュオのパンクバンドだが、ベースだけブーツィー・コリンズみたいだった。ちょっといい歌もあって、最後はラモーンズのカバー。30分で終わり。短い。学祭かと思った。

アイランドステージとかビーチステージを散歩。マリンスタジアム・・・全くひかれる出演者がいないので、結局一度も足を踏み入れることはなかった。メタリカのTシャツを着ている人が沢山いたが、なんとも巨大な断絶を感じる。

EL PRESIDENTE。元気な人たちでした。THE CARDIGANS。すっかりオバちゃん。まあそんなもんだろう。この時に外は激しい雷雨だったらしく、アイランドとかビーチステージは演奏中止になったらしい。リバーサイド・ガーデンというところで演奏するハンバートハンバートを観ようと思っていたのだが、ここもやっておらず。テントに行ってInk。石野卓球&川辺ヒロシ。これは気持ちよかった。「氷の世界」。間奏のハープがビヨンビヨンの電子音で奏でられる。でもこれもあっけなく50分ほどで終了。そうか、サマソニって効率よく沢山観られる代わりに、物足りなさを感じてしまったりするものなのね。

アイランドステージに行ってPUFFY AMIYUMI。聞くところによるとアメリカツアーではボノとかも子供を連れて見に来るくらいの人気らしいが、日本ではやっぱりUS仕様のキレのある曲よりも、普通にヒットした曲で盛り上がる感じでしたね。雨上がりの夕焼け。

メッセに戻ってTHE CHARLATANS。懐かしかったが、THE ONLY ONE I KNOWをやる直前に会場を出てしまった。(3人で行ったのが、それぞれ最後はDAFT PUNK、MATISYAHU、Flaming Lipsとバラバラになったのだ。俺は最後までMATISYAHUと迷って、結局Flaming Lipsに。)

最後はFlaming Lips。なんという!素晴らしい!無駄に美しいライブだったことか。無限に吐き出されるかように飛び乱れる紙吹雪、ステージが見えなくなるほどの風船。大量にステージの上で踊る、サンタクロースの大群と宇宙人?の大群。後方にはまた無意味に大きい宇宙服と宇宙人とサンタクロース。スーパーマンとかスーパーウーマンがステージをウロウロしている。クラッカー、拡声器、ギター、ドラム、ベース、キーボード・・・決して万人に受入れられるような聴きやすい曲を作っているバンドじゃないのに、この圧倒的な「全てのものに愛を」みたいな空気は何なのだ。何かが決定的に間違っているのに、このステージと観客たちはその間違いを笑いながら受入れている。びっくりしながら、無意味に涙が出る程の幸福感に包まれる時間。透明の風船の中でくるくる回り、いきなり始まった"Race for the Prize"。もうこれだけでも今年サマソニ行ってよかったと思った。

↓これよりもっと派手だったような気がする。他にも検索すると大量にRace for the Prizeのフェスでの画像があがっている。どれもアホらしいまでに神々しい。

ライブが終わって、ビール飲んで、混んだ電車に乗って、家に帰って来たら12時を少し回ったくらい。なんというか、あっというまに現実に戻ってしまう。逃避として機能させる為には、不便で非効率な方がいいことも世の中には沢山あるな・・・と思ったのであった。

ゲド戦記

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先週観た映画。ゲド戦記

「こーころをなににたとえよう」というテルーの唄がしばらく頭の中でぐるぐる回っている。印象的な唄。ただ、それ以外はほとんど観るべきところのない映画だった。

久々サッカーのこと。

先週の土曜はFCソウルとFC東京の試合をテレビで。なんとも不思議な巡り合わせで、チェ・ヨンスの引退試合。最後は川口(もちろんヨシカツ)と戦うとこを見たかったような気がするが。試合は東京の負け。まあしゃーないかという感じ。

月曜の夜は、帰宅したらU21の試合をやっていた。知らんかった。梶山が10番だったが、俺が見た時間帯はとてもへばっていた。梶山はともかく伊野波はこのチームの中心になるかもしれんと思った。

そして水曜日。オシムが監督になって最初の日本代表の試合。録画して見た。基本は浦和+それ以外の人数人という布陣(うわー。)試合は中田英寿に「この人間」呼ばわりされていたアレックスが2点とって日本勝ち。オシムのメッセージは何だろう?こんなに準備期間もない試合の場合、特定の1チームをベースをチームを作るしかないのですよってこと?

田中マルクス闘莉王、田中達也、田中隼磨・・・中田がいなくなったと思ったら日本は「田中」の時代へ突入しつつあるのかもしれない。「佐藤」「鈴木」「田中」という名前が並ぶ中、やっぱり「我那覇」はダントツのインパクトである。

大熊さんは、オシムの指示を選手に伝えるメッセンジャー役のようで、余りにらしくて笑ってしまった。しかし地味に坂田、小林大悟、今野といったユース監督時代の選手がメンバーに入ってるのね。

あと、テレ朝のサッカーを久しぶりに見たが、カクザワは「すごい見ごたえある攻めでした!!」と実況したときはひっくりかえった。「すごい」て。女子高生か。雑談中のつもりかよ。

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」読了。

わたしを離さないで

この小説に関しては、あまり内容に触れる訳にはいかない。良かった、とだけ書いておこう。先日本屋に行ったら、売れているからだろうか?「愛の流刑地」の隣に平積みにされていたが、断じてそういった類のクソ小説ではない。小説においては、構造と語り口が互いに相乗効果を生んで目の前に一つの現実を作り出す。そのお手本のような作品だった。

あんまり忙しいとか書きたくないのだが、ここまで忙しいと多少は言いたくなるのが俺の首尾一貫していないところで、まあ我慢したところでどうにもなるもんでもないからね。イライラしながら人に注意したり、あんまり楽しくないことをいっぱいやって家に帰ってきたら、女優さんが風俗嬢の姉妹にお説教している番組をやっていました。みのもんたとかオーラの泉の人とか細木数子とかマネーの虎とか、よく知らないけどテレビってものはみんな誰かが誰かに叱られたり諭されたり導かれたりするのを見せる装置になりつつあるのかもしれない。いったいなんなんだろう?説教なんてしたくもないしされたくもない。ただこの世に説教ニーズが厳然としてある以上、これからも毎日誰かが誰かに説教するところを見るのだろう。

つーかそんなことよりサマソニでやっぱりFlaming LipsとMatisyahuの時間が被ることがわかってガッカリである。両方とも見たいのに。

王と鳥

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渋谷のシネマ・アンジェリカで、王と鳥を見た。

「ジブリの原点」という謳い文句にウソはなく、まんま「カリオストロの城」の元ネタと思われるシーンとか、ラビュタや千と千尋を思わせるようなシーンもあった。そしておそらく、もっとも影響を受けているのはアニメーションが持つ「寓意」の仕込み方だろう。イデオロギーや社会風刺として「寓意」を利用するのではなく、もっと根源的に世界そのものを語ってみようと試みること、それが寓意にあふれた映画の最大の面白さではないか?

公式サイト中、高畑勲の発言で、深く感情移入することや、それとは逆に反感を覚えたりすること。それら感情の作用のみに寄りかかった映画はひどくつまらない、という主旨の言葉があった。どうしてその感情を生み出す、世界の構造そのものを描こうとしないのか?ジブリがピクサーよりもすごいアニメーション映画を作れるとしたら、そういう視点で勝負するしかないのではないかという気がした。「擬人化」としてのアニメではなく、「世界の可視化装置」としての、映画を見てみたい。そして「王と鳥」はまさにそういった種類の、素晴らしい映画だった。

王と鳥