トンマッコルへようこそ

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金曜日、六本木シネマートでトンマッコルへようこそ

村の外では朝鮮戦争やってるなんてことも知らない、武器も兵士も見たことない、桃源郷のような村、トンマッコル。そこへやってきた米軍、南、北、それぞれの兵隊さんたち。村人たちは「戦争」も「武器」も分からないから、外部からやってきた彼らの存在自体が「?」である。ただし彼らは「?」を排斥しようとするどころか、ニコニコと笑って歓迎するのである。つまり「トンマッコルへようこそ」と。その状況から生まれる「笑い」がとっても舞台っぽいなあ、三谷幸喜みたいだなあと思っていたら、やっぱり原作は舞台作品だそうで。

あと、音楽が久石譲ということで、連想するのは二つ。一つは宮崎駿だし、もう一つは北野武。村の守り神ののどかな造形などから、ジブリ作品を連想する人は多いと思うが、村人たちと無邪気に遊ぶシーンなんかは北野武の「ソナチネ」か?と思わせる場面だった。久石譲の音楽は映画の感動成分を確実に30%増しにする。ずるい。

以下は、映画を見た人だけ。

まずは、人民軍の少年兵が平山相太に激似なことはさておく。

南の衛生兵はキム・ギドクの「春夏秋冬そして春」で、あふれる性欲を押さえきれない少年僧の役をやっていた人だった。漫画のような表情をしている。

カン・ヘジョンは・・・そんなカワイイとは思わなかった。さとう珠緒に見えてしまった。

シン・ハギュンは、最後の最後での笑顔がとっても素晴らしいのだが、これが予告編というかTVのコマーシャルでしっかり出ちゃってるというのはいかがなものか。これは劇場で見せないといけないのではないか。

いい映画だったのだが、最後の方の展開については余りにも「感動」へ持って行こうとする脚本に違和感を持ったことも確かである。無垢なるものとしての「村」は、圧倒的な外部からの「悪意」の前に戸惑いを見せる。ただそこで「村」は突然、物語から姿を消してしまう。残りで描かれるのはファンタジーではなく、「外部」と「守るべきもの」の新たな抗争の物語に過ぎず、それが大きな意味での「戦争」とどこが違うのかと言ったら、別に何の違いもないのである。つまり外部からきた人間は、その桃源郷にうっとりと憧れはするものの、結果としての行為はその血まみれの歴史の繰り返しであり、彼らの英雄的な行為はトンマッコルを守ったかもしれないが、同時にトンマッコルを殺したとも言えるのではないか?・・・なんてことをつらつらと考えた。

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このページは、biwacovicが2006年11月 3日 23:59に書いたブログ記事です。

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