2006年12月アーカイブ

2006-2007

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今年も終わり。

結婚したり太ったり恥をかいたり汗をかいたり起きたり食ったり寝たり読んだり見たり聴いたり笑ったり泣いたりして過ぎていった1年だった。今までと同じかもしれないけど、毎年少しずつ違うはずだ。

28日はフットサルの忘年会で、29日は東すかの忘年会で、30日も池袋方面で忘年会で、喉がやられて風邪気味だったりするのだが倒れるまでには至らず、なんとか今日になった。お酒はおいしいけど、あんまり毎日毎日だとよくないね。多分これはお酒だけに限らないのだけど。

ここ数年ずっとそうだが、酒席での会話を、翌朝になると忘れていることが多い。最近それはそれで別にいいやと思うようになってきたが、やはりとても恥ずかしい/もしくはもったいないと思うのである。その時の自分は何を考えてしゃべっていたのだろう?いや、そもそも「話す」ために「考える」のではなく、「考える」ために「話す」だけでしょう?そのとおり。だからきっと酩酊状態でへろへろでも、言葉は吐きながら、何を自分が話しているのかについて考えているはずなのだ。覚えていないけど。

去年は池袋でむさくるしく男だけで飲んで年を越したが、今年は横浜→実家という親孝行プレイコース。

それではみなさん、また来年。殺人鬼・三隅俊也の言葉とともにお別れしましょう。

世に棲む生きとし生けるもの全てが、自由に、平和に平等に、美しく明るく楽しく暮らせる、幸福と善意と優しさと愛に満ちた・・・世界を・・・要求する。

「真説ザ・ワールド・イズ・マイン 1巻」より

もう先週のことになるのだが、新井秀樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」全5巻を読み終わった。

辞書のように分厚いこの5冊は、その分厚さ以上に衝撃的な体験をもたらしてくれた。まさに「デビルマン」級の金字塔。この漫画について書くことで、2006年のcoyote noteの締めとしよう・・・なんて大袈裟なことを考えていたのだけど、なんとなくまとまった時間もないまま30日になってしまった。

爆弾魔トシと殺人鬼モンのなんの目的もない大量殺人ツアー。同じく脈絡もへったくれもない巨大モンスター「ヒグマドン」の破壊と殺戮のパレード。この二つの物語が、互いに争うように/寄り添うように展開し、巨大な物語へと変化していく。

作者はこれを倫理や道徳についての物語だと言い、神についての物語でもあると言う。確かにそうだ。そして僕が更に思うのは、これは「物語」についての物語であるということだ。一切の共感や同情を排除した、冷徹で正確な人物描写は純文学的であり、現地取材によって緻密に構成された青森や大館の都市の破壊はハリウッド映画的であり、残酷描写や多くの反倫理の連続劇は日本や韓国の映画的な気がする。そういった数多くの多彩な「語り口」は、その多様さゆえに我々をこの異様な物語の中に引き込みはするが、本当の意味での技巧はそこにあるのではない。

「ザ・ワールド・イズ・マイン」の中には一見陳腐に見える物語がそこら中に転がっている。職業倫理を貫き通す警察官、金髪美女を抱く総理大臣、ダンサーになりたい女子高生、成り上がりたい地方局の女性レポーター、ロックスター、殺人鬼の母、唾液の分泌量が異常なSAT隊長・・・・陳腐な物語のループが僕らの日常にほかならないのであれば、そのループを強制終了してくれるのは圧倒的な強度の別の物語しかない。すなわちそれはとてつもないハイ(快楽や支配や創造)もしくはロー(暴力や破壊や死)であり、何千年も前から人類が「物語」を求めている理由である。

物語には道徳は不要であり、必要なのは「強さ」のみである。荒唐無稽であろうが、バカバカしかろうが、「強さ」のある物語は実に古典的な方法で生み出すことが出来る。つまりそれはノイズの積み重ね。このノイズのような、幾重にも重なった怒号、悲鳴、嘆き、笑いの音楽こそが、我々が求め続けてやまない「物語」を生み出す土壌になる。

「ザ・ワールド・イズ・マイン」はそういった構造に正面からの一点突破で挑み、「物語」というモンスターを更に得体の知れない不気味なものに育て上げた作品になっている。僕はただ、その圧倒的な流れの中に巻き込まれるしか無い。そして黙ってその悦びに震えるのだ。

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻
真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (2)巻
真説 ザ・ワールド・イズ・マイン 3巻
真説 ザ・ワールド・イズ・マイン 4巻
真説 ザ・ワールド・イズ・マイン5巻

読後には、町山智浩のアメリカ映画特電を聴くと面白い。この漫画が密かに(もしくはおおっぴらに)影響を受けている映画や文学について語られている。そんな原典とか全然知らなくても十分面白いと思うが、ついつい19歳の地図とか言われると盛り上がってしまうのが我ながら単純だと思う。

12月27日。バンブルビーレコード・クリスマスディナーショー@赤坂グラフィティ。前売りは完売だったのですが、有難いことにご招待頂きまして、見に行ってきました。

出演者はプンクチル、ソフテロ、鈴木博文、上田ケンジ、直枝政広、政風会(鈴木博文+直枝政広)。素晴らしい方々と共演させてもらえたプンクチルさんはいつものように、落ち着いて3曲。良かったです。プンクチル以外はバンド編成じゃなくて、じっくり歌を聴かせる感じで、厳粛なムードすら漂ういいライブでした。最後は出演者全員でアンコールの一曲を演奏という、感動的なフィナーレ。心に染みた。「ボクハナク」

29日にもライブに行く予定だったのだけど、所用のため行けないことになったので、今年はこれが最後のようだ。最後にいいライブを見ることができてよかった。

あと、お客さんがみんな座ってみられるライブはいいですね。(俺は立って見てたけど)じっくり音楽を聴いてる感じになるし、ロックだからってスタンティング必須、みたいなのはもうとっくに無いなと思いました。歳なだけかもしれないけれど、歳は歳だから。

土曜日。某宅で餅つきに参加。去年に引き続き2回目の参加である。昼過ぎから日の落ちるまで、飲んで食って米こねて餅ついて、その後もおいしい鍋などをたっぷり頂き、明らかに提供した労働力よりも対価の方が大きいという不均衡に悩む暇もなく、ああ幸せだと思いながら、何度か睡魔に襲われながらも家路についた。

電車に乗る直前、急いで階段を駆け下りたとき、ラスト1段か2段くらいのところでコケた。まるでスローモーションのように、両手が塞がっていた俺は手をつくことも出来ずにコケた。眼鏡がずり落ちた。素早く眼鏡を拾って電車に乗り、同行者たちを見たら・・・爆笑していやがったが、延々と俺はコケたことを正当化して話し続けたらしい。(あんま覚えてないけど5分くらいでしょ?)

家に帰ってからもう1杯飲もうかと思ったのだが、疲れのあまりすぐに寝てしまったようだ。翌日起きたら、駅でコケたときに打ったと思われる左膝が痛かった。「生きててよかった」と思った。年末、階段落ちといえば「蒲田行進曲」のヤスしかいないわけで、俺も少しはあの境地に近づけたのかと思うと光栄である。

日曜日。宅急便でガンダムのDVDボックスが届く。うれしい。

夜。家で料理。クリスマスレシピは見た目が大事だそうで、フライパンだけで作る豚の塩釜というのを作る。後の料理はイマイチの出来だったが、これは旨かった。M1グランプリは個人的に優勝大本命と思っていたチュートリアルが優勝。予想があたるのはうれしい。

蒲田行進曲

機動戦士ガンダムDVD-BOX 1 特典フィギュア付(完全初回限定生産)

先週の日曜日に見た映画。スキャナー・ダークリー。フィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」の映画化。キアヌ・リーブス、ロバート・ダウニーJr. ウィノナ・ライダー。監督はリチャード・リンクレーターで、フィルム全編にあの独特のアニメ処理が施されている。

この映画はディックの原作に非常に忠実だ。ディック原作の映画の多くは、最初の着想だけを原作から得て、その後は自由に料理するものが多いのだが、この作品はまさに小説そのまんま。最初のシーンから最後のシーンまで、見事にそのまんまだ。だからこの小説を大切に思っている人であれば、映画を見ても原作の持つバカバカしさや、悲しさが十分に再体験出来る。(原作を読んでない人がどう思うのかは分からない)

この小説は、形式としてはSFでありながらも実際のところディックの他のSFとは違う。現実はひとつだし、ダメ人間たちに救いはないし、どこへも逃げられない。ずーっと色々なことから逃げていた小説家が、唯一現実と向き合うことをやめなかった小説だ、だからがこの小説にはディックのファンたちは「傑作だ」と評価するのである。(ディックのファンじゃない人がどう思うのかは分からない)

この映画は、簡単に言ってしまえばディック信者によるディック信者の為の映画である。。ウィノナ・ライダー演じるドナがいかにもディック趣味(謎めいている/求めても振り向いてくれない)にあふれているところとか、アークター/フレッドが壊れていく「いたましい」というほかない様子だとか、全てのシーンがP.K.ディックの小説を再現するために存在している。

スキャナー・ダークリー

暗闇のスキャナー

青山円形劇場で、ア・ラ・カルトを見た。今年で18年目という人気公演で、チケットも入手困難らしいのだが、今回とある方よりプレゼントされたので見に行くことが出来た。ありがとうございます。

フレンチレストランを舞台にしたショートストーリー、生バンドの演奏。休憩時にはワイン。年末になると、もしくは年末くらいは、殺伐とせずにこうやって幸せな気分になりたいものだし、そう思う人たちがたくさん集っている感じがした。あと、タクシーの運転手とかレストランのギャルソンみたいな仕事は、いつも客の会話の断片(すなわち人生の断片)を目撃する職業なので、色々な面白いネタを持っているのだろうな、と思う。

終演後はレストランという訳にも行かず(平日の夜だし終わったのも10時前だし)、結局お好み焼きともんじゃとビール飲んで帰宅。

もう今週の金曜日で上映が終わってしまう、おじさん天国。ポレポレ東中野で土曜日に見た。

イカと悪夢と性欲と不眠と絶倫と野球と社歌とオロナミンCと、その他ありとあらゆる「この世に生きることのしんどさ」が、なぜか大した仕掛けも魔法もないままに、「生きてるって素晴らしい」に変換されるインチキを目撃した。このインチキを作り出すことが出来るのは、限られた才能や意志のある人だけであり、この映画はどうやらそういった幸運に恵まれたようである。こんなにチープで、しかもホンモノらしい地獄は見たことがない。毎晩のように見る夢が、いつかこの映画のようになる気がして、ちょっと怖いような面白いような気がした。

僕らはこれからズンズン歳をとり、死なない限り悪夢を見て、未来に怯えるだろう。劇場ではいまおかしんじ監督のシナリオ集が600円で売っていた。映画を見ても、シナリオを読んでも、どうやってそれに立ち向かえばいいのかは分からない。ただ、別にそんなことに「答え」はなくてもいいんじゃないかと思った。

上映後には、いまおかしんじ監督×柳下毅一郎(特殊翻訳家)×田野辺尚人(「映画秘宝」編集部)、というトークショーがあって、なんというか映画だけでも十分満足なんだけど、その余韻を壊さない程度のゆるいトークというのが実に良かった。トークの様子はこちら。・・・・「人間の内面なんかなくてもちゃんと映画になるっていうか、内面もお金も何もないけど天国と地獄はあるというのが素晴らしいなあと。」・・・・そうだなあ。内面なんかより、その人の考える「地獄」を見る方が、よっぽどその人のことが分かるってものだ。

↓予告編@YouTube。最高です。本当に「生きてるって素晴らしい」というのがテーマらしい。マジで?

週末

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久々に一人暮らしを満喫!な土日のはずだったのだが、あっという間に終わった。映画を2本見に行って、漫画読んで、酒飲んで、料理して、こぐまレコード忘年会やって終わり。ビール飲みすぎた。

不要になった服を捨てるのも忍びないし、フリーマーケットに出すのも面倒だし、ということで救援衣料センターにまとめて送った。コンビニでゆうぱっくの手続きをしたのだが、レジのおばさんが凄まじく手際が悪くて、しかも独り言をブツブツ言うので参った。荷物の大きさを測りながら「ああもう何センチだかわかんないわよ」「もうだめわかんない」とか小声で言うのだ。どうリアクションするべきか困ったが、まあ放っておいたらとりあえず終わった。

年末だな。なんとなく。

パプリカ

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12月10日に見た映画。テアトル新宿でパプリカ

筒井康隆は高校生の頃の僕にとってはかなり特別な存在であり、90年代初頭まではその全作品を読んだと言ってもいいと思うほど(全集も読んだし)好きだった作家だったのだが、ある時期を過ぎてから全く読まなくなった。だからこの原作の「パプリカ」も当然読んでいない。映画を見る限りでは、夢診断とか、クールな美女とか、ちっちゃな大名行列とか、筒井作品おなじみのモチーフが盛りだくさんで、「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」の七瀬三部作などに通じる、正統派に属する作品のようだ。

映画の方は、まあなんというか、長く語るような感想はあまりない。好きな人は見に行って損はないだろうと思う。難解でもないし、絵は面白いし、パプリカ萌えする人もいるかもしれないし、平沢進の音楽はとてもいいし、あえて貶すようなことは特にない。同時にいいと思うところも特にない映画。

映画以外

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なんか最近は、異様なまでに映画のエントリばかり続いているので、昨日も映画を見たのだが書く気がしない。かと言ってそれ以外に何か書いておきたいことがあるかと言うと、まあ書いても書かなくても別にどっちでもいいなあという程度のことで、これは明らかな「日記欲」の低下である。まあ別に低下してもいいような気がするけど。

土曜日。洗濯して、Amazonからの荷物を受け取って、仕事行って、家で鍋作って、寝た。
日曜日。うどん食って、ラーメン食って、映画見て、買い物して、フレンチ食って、パブでギネス飲んで、寝た。
月曜日。仕事行って、帰宅して白菜だけで煮込む豚の角煮を作って食った。

無印良品で眼鏡を買った。なんと無印の眼鏡もう三個目。

昨日行った目黒のパブでは、Velvet Undergroundの"Sweet Jane"の気怠い女声のカバーがかかって、とてもいい感じだったのだが、あれはいったいなんというバンドだったのだろう?

なんだかよくわからないが、もうちょっと気を引き締めないとイカンのではないか?という思いに唐突に取り憑かれたので、今日はこれで終わりにします。やっぱり映画を見たり、酔っぱらったりしている時間より、それ以外の時間の方が人生は圧倒的に長いのである。

<東京 2-3 清水>
岡山にて東京の今年も終わったらしい。三浦文丈が去り、ジャーンが去る。さようなら、ありがとう。そして来年は原博実が戻ってくる。これで「来年はソシオを継続しない」という人も出るかもしれないが、僕としてはそれほどの不快感を持つものではない。ただ、この決定の過程にある種の「気持ち悪さ」がつきまとうというのが正直な気持ちであり、その「気持ち悪さ」が何に由来しているのかを考えると更にいい気分じゃなくなってしまうのが困りものだ。

<アジア大会>
なんかどういう位置づけの大会なのか、よく分からないまま終わってしまった。もうちょっと試合を見たかった。いや、正確に言えば平山をもう少し見たかった。女子の中継をもっとして欲しい。

<入替戦>
第2戦だけ録画で見た。ニュースによれば、福岡の選手は「今年からアウェーゴール2倍ルール採用」という事実を知らないまま第1戦のアウェーを戦ったらしく、まさにその重みがのしかかる結果となったのは何とも皮肉。あと、両チームの監督/選手ともどっちがどっちの選手だか分からないくらい、神戸の監督が元福岡だったりかつて神戸にいた選手が福岡にいたりして、内戦のようだった。東京からレンタル中の近藤祐介が活躍していて、三浦淳宏が泣いていて、まあそれはそれで良かった。

<城彰二>
引退。感慨深いというほかない。歳月人を待たず。カズがまだ引退しないことを含めて感慨深い。

ああ、気づけば今年のサッカーもほとんど終わってしまった。世界クラブ選手権?そうか岩本輝が出るならちょっとくらい見ようかなという感じ。

今日も今日とてポレポレ東中野でいまおかしんじ特集。

<手錠>
10年にわたる男女の友情っつうか、まあそんな感じの物語。いろいろチャンスはあるんだけど、結局やらない男と女が最後に「やる」っつうのはある種の映画的なカタルシスをもたらす常道だと思うのだが、この映画はなんとなく最初にやっちゃって、またなんとなくやったりして、最後に「やらない」という清々しさがある。

<かえるのうた>
これは今年の1月の公開時にも見たので、1本目が終わったら帰ろうかと思っていたのだが、なんとなく席を立ちたくなくてもう一度最後までみたら、なんかもう素晴らしくって、とても元気が出たのだった。これは女子の友情の物語。部屋に「まんが道」が置いてあるのがいい。(昨日の「それでも」にもまんが道が置いてあったような)「なろうなろう、明日にはなろう。」そして踊ろう、という映画。

手錠(ロスト・ヴァージン やみつき援助交際)

かえるのうた

いやあすっかり会社とかで見にくいブログになっちゃいましたかね?こうゆう映画のことばっかり書くのもいかがなものかと思うが、そういう日々なんだから仕方が無い。つーかここに書いてないこと以外で色々と大変なことだってあるのさ・・・とか言いつつ水曜日。ポレポレ東中野でいまおかしんじ特集。この日は「夫婦」の映画2編。

<愛する>
不妊に悩む奥さんと、優しいながらも若い女と不倫してる旦那。いきなり関西弁のオッサンの「人造人間」が登場する。なんの脈絡もなく登場し、人造人間とは全く関係なく物語は淡々と進むのだが、やっぱり人造人間は最後に奇跡を・・・。人生は夢みる時間よりも、受け入れがたい現実を飲み込むことに四苦八苦する時間の方が長いのだが、ほんの一瞬だけでも美しい朝が訪れるのだ。

<それでも>
海外ではビデオ化もされてるそうで、英語字幕入りのインターナショナルバージョンで上映された。キャベツを切ってると死にたくなる女教師と、その旦那。そして不思議ちゃんな女子高生の三角関係。この映画には怪獣も人造人間も登場しないが、その代わりに(?)、最強の女装オッサンが登場する。襲い来る憂鬱にまともに戦っても勝ち目は無いので、とりあえず意味のないことをやってみよう!ということのようだ。生きるということはこんな感じ。

墨攻

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来年公開されるアンディ・ラウが主演の映画「墨攻」。原作は日本の漫画。更にその漫画の原作は酒見賢一の同名の小説とのことで、これって正確には小説の方を「原作」と呼ぶべきじゃないのか?と思ったが、先に翻訳されて、映画にしてみたい!と思われたのが漫画だったのだろう。

漫画の方。
墨攻 (1)

小説。
墨攻

戦国時代の中国、特異な非攻の哲学を説き、まさに侵略されんとする国々を救援、その城を難攻不落と化す謎の墨子教団。その教団の俊英、革離が小国・梁の防衛に派遣された。迫り来る敵・趙の軍勢は2万。梁の手勢は数千しかなく、城主は色欲に耽り、守備は杜撰であった。果たして革離はたった一人で城を守り通せるのか—史実を踏まえながら奔放な想像力で描く中島敦記念賞受賞作。

戦争を最大の悪事と見なす思想集団でありながら、その構成員は卓越した戦争職人(主に城塞都市を守ることに特化した戦術の)であったというのが面白い。その「技術」は、人心掌握術、組織論にまで及び、戦争という局面(つまりそれは全てのベクトルが「負けない」という方向を目指し、最大限の効率化を目指す極限状態)において)、何が必要か/何が必要でないかを徹底的・合理的に考えたうえでのメソッドとして提示される。

「戦争を最大の悪事である」と定義し、「非攻」を掲げた時点では、この思想は完璧な論理的整合性を持っていると思われる。だがこの思想はその継続の過程において、その思想的論拠を「防御」の技術論の実践的発展に求めた時点で、いづれは破綻する思想へと姿を変えたと言えるだろう。どうやったって「守る」とは「攻める」ことと不可分であるからだ。その意味で「墨守」ではなく「墨攻」というタイトルは実に奥行きのあるものだと思う。

もしも非戦を掲げる憲法を維持しながら激烈な専守防衛の軍事国家となり、更に国防の為の軍事コンサルタントとして他国に人を派遣したりする国があったとしたら・・・まさに現代版の墨家である。なんか村上龍の小説みたいだけど。

昼間は浦和レッズの優勝以外にも嫌なことがいっぱいあって、現実逃避モード全開で東中野へ向かう。ポレポレ東中野でいまおかしんじ特集

<デメキング>
原作はいましろたかしの「デメキング」である。未完の怪作という表現がまさにしっくりくる、とんでもない作品。それが10年以上前に映画になっていたというのも驚きだったが、ストーリーも「デメキング」の設定だけが生きているが全くのオリジナルで、不思議なやさしさにあふれた内容だった。80分と成人映画にしては長尺である。監督の舞台挨拶があった。いましろたかしさんに挨拶しに行ったのは、映画をとった後だったそうだ。つまり完全な事後承諾。「二度とすんなよ」と怒られたとか。二人はいまやアユ釣り仲間だそうで、「いましろたかし」「いまおかしんじ」が並んで釣りしてるというのは、どっかの神話のような風景だなあと妙な感慨をもったのだった。主人公が劇中でブツブツとしゃべっているのは、すべて漫画の「デメキング」の台詞。そして原作同様に「未完」こそがもっとも美しい結末である、という気がした。
demeking.jpg

デメキング

デメキング

<にぎって>
主演の黒田詩織がかわいい。前にケーブルテレビで見た成人映画に出ていて、いいわあと思っていた人だったのだが、やっと名前がわかった。富士の樹海をさまようシーンは、ちょっとドキドキした。樹海に行く理由などどうでもよい。命を捨てるつもりなどまったくないのに、樹海に行って道に迷って、ああ俺は死ぬかもしれない、と思うことが重要なのである。

これも先週見た映画。ケン・ローチ監督作麦の穂をゆらす風

えーと・・・カンヌのグランプリです。とても真面目な映画です。だけども、やっぱりケン・ローチはこういう大河ドラマ的というか、時代や群像にスポットをあてた作品よりも、もっと個人に密着した作品の方が圧倒的に面白いなあというのが素直な感想。最近のグチョグチョとリアルに人が死んで行く映画を見た目には、この映画での「戦争」がどことなくぼんやりと見えてしまった・・・というのもある。

でも、自分の資質として向いていないであろう指向の作品も執拗に作り続ける姿勢というのは、やっぱりどこか職人気質というか、どうにも譲れない思いがあるのだろう。

全くこの映画とは関係ないが、『おじさん天国』公開記念・いまおかしんじ特集 R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.2がある。見に行きたいのだが、時間が作れるのかが問題だ。というわけで今から仕事。