善き人のためのソナタ
土曜日。シネマライズで善き人のためのソナタ。
1984年の東ベルリン。シュタージ(国家保安省)のヴィースラー大尉は、劇作家ドライマンとその恋人クリスタの日常を監視することになる。アパートにはいたるところに盗聴器が仕掛けられて、ひたすら盗聴とその報告が淡々と行われるのだが、「そのあと二人はセックスをする」とか、カッチリとしたタイプライターの文字と音で報告書が作られていく様子がなんとも言えない緊張感を生む。しかもヴィースラー大尉は、ほとんどの表情に、生き生きとした感情の表出がなく、わずかな目の動きでしか彼の心情を測ることは出来ない。そしてその目の演技こそが、この映画の核心である。
抑圧的な社会/自由な社会、監視するもの/されるもの、記述するもの/されるもの、モノを書くということ/それを演じること・・・様々な対立概念(または相互に補完し合うもの)が、少しずつ狂っていく様子が描かれている。そしてこの風景は決して過去の東ドイツだけに存在したものではなく、今もなお延々と続く舞台のようなものであると気付いたとき、「善き人」であるということはなんと難しいことかを知って、我々もまた泣くのである。
ラスト近く、ヴィースラーとCMSが対峙するシーンは見事だった。監視し、抑圧する立場のヴィースラーと、舞台女優たるCMSが、共に尋問室という舞台に否応なしに立たされている。そこでは、誰が書いたのかも分からない悲劇の筋書きが彼らに手渡され、彼らはそれに逆らうことも出来ずに物語を前へ進めるのである。そして脚本家であるドライマンは、そのことまた書くのだろう。涙を流しながら。
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