2007年4月アーカイブ
ゴールデンウィークはカレンダー通りの予定。去年は長野旅行に出かけたのだが、今年はどこにも出かけない。6日の等々力くらいは行こうかな?という感じ。その代わり、その次の週末から旅行に行くことになりました。
土曜日。買い物いろいろ。サッカー、東京の試合は見ていないが、BSでやってた磐田と広島の試合は熱かった。豚の角煮を作って食べた。
日曜日。渋谷に映画見に行って、目黒で焼鳥食った。
月曜日。クリーニング屋、本屋、無印良品、スーパー。家の近所の公園。子供たちがたくさん遊んでいて、散歩している人やらベンチで本を読んでる人やらいるのだが、一人っきりで「四股を踏んで」いるおっさんがいた。え?なぜ四股?
夜はBSの「悪魔の手鞠歌」を見ながら料理する。
無印良品が家づくりにホンキになっているのはどうやら間違いないらしく、こんな変なもんまで出版するものだから、思わず買ってしまった。「箱の家」を無印良品的「木の家」として提示するのとは違い、この本は徹底的に中古マンションをリノベーションの1点押し!という感じ。なんかもう無理矢理な感じもするんだけど、勢いだけで本になってしまっている。しかも意味もなく、
18人に聞きました「私の住宅論」 柘植伊佐夫/平松洋子/茂木健一郎/納谷学・納谷新/津村耕佑/内田樹/アトリエ・グリズー/石上純也/穂村弘/岸和郎/都築響一/林望/こぐれひでこ/五十嵐太郎/菊地成孔/千宗屋/山形浩生/ジャスパー・モリソン
脈絡なく今っぽい感じ?
1800円は高い本だと思うけど、無印良品がホンキで30代に家を買わせようと企んでいることだけはよーくわかった。
先週の土曜日。新宿で豊田道倫ライブ。普段は平日の夜が多くて行きそびれていたのだけど、土曜日だと行ける。先日送ってもらったCD-Rに入っていた曲、初めて聴く曲、そして昔の曲。たっぷりと聴いた。客はみんな下を向いてて、目を合わせないようにして、そのまま眠りに落ちてしまってもいいような、緊張しつつ、でも弛緩した、そんな変な時間と空間。
途中にMCであったように、どこかしら具合の悪い人がこの音楽に引き寄せられているのかもしれないけど、ぼくは自分が具合が悪いのかどうか分からない。まわりの人が正常か狂っているかもわからない。まあでも別にそんなことはどうでもいいな、と思った。何かを肯定されたり、否定されたり、そんなことの為に歌を聴くのではない。
そして僕らが聴きたい歌を、聴きたいように演奏してくれる人も必要かもしれないが、何が聴きたいのかも分からず、何が演奏されるのかもわからず、いつもその場で勝負のような、そういう場を求めるから、この歌が、このライブが好きなのかもしれないと思った。
なんども聴いたはずの「ルイ・ヴィトン」という曲が、なぜか初めて聴くように耳に届いてきて、ひどく新鮮な体験だった。ライブというのは、そういうものなんだろう。
土曜日。味スタ。両チームとも弱かった。カズは懸命にやってた。2度ほど連続でピッチで滑ってコケた時は、笑いながらもなんか感動してしまった。山口も随所に山口というプレーぶりだったが、早めに交代させられていた。東京はこれから上位との対戦が増えてくるが、暗い予想しかできない内容だった。まあ予想は裏切られるためにあるものであるということを期待したい。
あと、試合後のコーナー付近での勝利インタビューは、ああゆうのをつまらんと思うような人たちは混雑する前にさっさと帰って下さいというチームからの気配りなのではないかと思いたくなるような、目を覆いたくなるようなシロモノでした。まあ仕方ないのかね。
その後は新宿に行ってライブを見た。お酒を飲んで帰った。
見たのは2週間くらい前かな?ボブ・ディランが音楽だけじゃなくて出演もしている。サム・ペキンパー1973年の作品。解説によれば「ならずもの」たちの終焉の物語でありながら、同時に「西部劇」的映画の終焉も描く・・みたいな感じらしい。そもそも西部劇をそんなに見てないから、そのあたりはよく分からないが、ディランはかっこいいし、全編に退廃と死のムードが流れる。
映画とはまったく関係なく真島昌利の「さよならビリー・ザ・キッド」を思い出した。なんとまあ絶望的な歌詞!なんだ。
21で結婚して27でもう疲れて
夢のカケラさえ投げ出し惰性で時を過ごしてる
ぬけがらのように虚ろで 話題は過去に流れてく
君は伏せ目がちになって人の人生をうらやむ
ヴォネガットの訃報を知って、読み返している。
生きることに不熱心なビリーであるが、彼のオフィスの壁には、彼の生活信条ともいうべき祈りの言葉が額にいれてかかげられていた。それを見て、生きる勇気を与えられたとビリーにいう患者も多かった。それは、こんな文章であるー神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を
受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とを
さずけたまえビリー・ピルグリムが変えることのできないもののなかには、過去と、現在と、そして未来がある。
なるほど、カート・ヴォネガット・ジュニアが変えることの出来ないものの一つが先週起こったというだけなのかもしれない。そういうものだ。僕は僕で、それがヴォネガット的諦観の中であるかどうかはともかくとして、この世の中を生きていこうと思う。それこそが「変えることのできない物事」であるのかもしれないし。
水曜日。仕事でサッカーは見に行けず。深夜帰宅。
木曜日。飲みに行った。きれいな夜景とか、ビリヤードとか。飲み過ぎた。
金曜日。この日も夜は飲みにいった。懐かしい飲み。
土曜日。映画見に行く。ジンギスカン食う。家でZガンダム見る。
日曜日。終日だらだら。スープカレー作る。
もう2週間前になるのか。プンクチルの4月1日のライブの時の映像をyoutubeにupしてみた。パステルズのカバー曲。いい感じだ。
日曜日。東京都写真美術館ホールでパラダイス・ナウ。
劇中に「日本のミニマリズム映画みたいな人生」などというセリフが出てくることからも伺えるように、おそらくは今日の映画的な作法/文法をしっかり身につけている制作者たちによって作られた映画である。ターゲットは、ヨーロッパ、日本、アメリカ・・・つまり「自分たち」以外である。(ちなみに日本のミニマリズム映画とは青山真治の「ユリイカ」が頭にあったらしい。他にも北野武の「ソナチネ」と似た構図があるなど、劇場に貼り出してあった監督のインタビューが面白かった。追記:公式ページにもあった。)
これは「あちら側」から「こちら側」に向けての、誠実な一つの手紙である。あなたたちは本当にあちら側とこちら側を分けることが出来るのか?なぜ悲劇は終わらないのか?「あなた」は「わたし」になることが出来るか?あなたは自爆攻撃に向かうことが出来るか?出来るならなぜ?/または出来ないならなぜ?
映画はこういったメッセージを、実にローコストに世界中に届けることが出来るメディアなのかもしれない。
あと、こういう監督なのも嬉しいというか。
なぜ航空エンジニアから映画監督になろうと思ったのですか?
当時好きだった女の子にフラれたので、映画監督になったら見返せるし、モテると思ったのです。
予告編。
昔から興味のあるものは勿論のこと、さして興味もないものまで、収集して捨てることが出来ない悪癖がある。例えばFC東京のマッチデープログラムや、映画の半券、建もの探訪の録画DVD、などは収集することにそれなりの意味があるのだが、全く意味なく収集していたものの一つに、使用済みのテレホンカード、イオカード、パスネット等々があった。テレカもイオカードも使わなくなったのが、この度Suicaが私鉄沿線でも使えるようになり、めでたくパスネットともお別れとなったのである。でもって、処分に困ったのがこの大量のカード。調べてみたらテレカが10枚、イオカードが57枚、パスネットが168枚ありました。一枚1000円とすると、かつて合計235,000円だったモノの残骸なわけである。
調べてみたらジョイセフが使用済みプリペイドの収集をしているし、近くの駅でも集めてたような気がするのでそっちでもいい。
まったく意味のなさそうなものが、何か意味を見つけたりするのはちょっとだけ楽しい。
ジェフリー・サックス「貧困の終焉」読了。U2のボノが序文を書いている。僕はU2は好きじゃないのだけど、いい本でした。理想主義と楽観論が、たくさんの数値やグラフで説明される。それはちょっとした魔法のようで、その意味ではそこらの宗教家や政治家よりも、センスのある経済学者の方が人を救えるのかもしれないと思ってしまうほどでした。いや、事実そうなのかもしれないし、恐怖や不安が人を突き動かすのではなく、知性と科学が動かすのだということを、あくまでも信じたい人にお勧めします。(追記:いや、恐怖や不安によって人が動かされてしまうことをむしろ積極的に認めてもいいのかもしれない。たとえそうであってもやることは変わらないのだ。つまり貧困に手を差し延べることの方が、そうしないことによってつくコスト(社会の不安定さから引き起こされるコスト)よりもずっと割安ですよ・・とまで書いてあるのだから。)
土曜日。中野で髪を切って、そのまま中央線で武蔵境まで行って、バスで味スタに行った。長年味スタに行っているがこのルートで行ったのは今回が初めて。特に深い意味はないのだが、何かを変えてみたかった。
開幕以来、ホームでアウェイチームへの究極の接待プレイを続ける我がFC東京。この日もやはりそのホスピタリティは完璧で、途中で帰ろうかと思ったくらいだが一応最後までのその慈愛に溢れたプレイを見た。一番耐えられないのは、終わりを告げる笛がなった瞬間の、ブーイングも何もない無気力な空気である。サッカーファンに良識や倫理や一貫性や精密さなど誰も求めていない。どうせ野蛮なサッカーファンとして振る舞うのあれば、盛大にブーイングでもバス囲みでも卵投げでもしてみればいいと思うのだが、東京というのはそれとはまた違う感じのファンなのである。
複雑なことを単純化して人に伝えることが出来る人は優れたコーチである。
複雑なことを単純に思ってしまう人は、悪い人ではないが、残念ながら苦しい時の適応力に欠けると思われる。
先週の土曜日。目黒シネマでウディ・アレンの「マッチポイント」。これは道徳の教材として世界中の子供たちに見せてはどうだろう?と思いたくなるほどの、不道徳で、だけど正直な物語である。
この映画の言わんとするところは、オシャレに言うならば「人生は運」となるのだが、ぶっちゃけて言えば「人間は欲望の奴隷」であり、「勝ち馬に乗りたいなあ」となる。
この映画を見た人が、物語の中にてんこ盛りの「不道徳」に対して語らず、その代わりに「いかにスカーレット・ヨハンソンがエロいか」を語りたくなるのは当然である。我々は日々、そのように考える訓練をしているのであり、この映画はその訓練の復習のようなものだからだ。人間が一度味わった「よい生活」や、「満たされた欲望」は、手放すのは容易ではない。我々はそれを手放すような事態を「不幸」と感じるように設計されている。金も地位も愛もセックスも、すべてがラクチンに手に入っちゃったら、おそらくは全力でそれを守りたくなるのがこの哀れな人間の習性であり、その理由付け・正当化をするのが「欲望の対象としての女性」を完璧にやってのけるスカーレット・ヨハンソンなのである。
ただし、実世界での我々は、この映画ほどに純化された欲望や、自分が努力せずに手に入れた「ラクチンさ」に自覚的でなく生きているから、なんとなくこれを単なる娯楽として消費したくなってしまう。そのカジュアルな現状肯定感こそが、多くの批評家や「大人」たちがこの映画に喝采を送った理由なのかもしれず、そう思ってみるとなんとも恐ろしい映画だと言える。(つまるところこれは、ドストエフスキーの「罪と罰」を完全にコケにした映画なのだ。)
今日は寒い一日だった。日付が変わる少し前に帰ってきて、録画していた大分戦を見る。なんだかよくわからないが勝った。こういう日もある。
得点にはならなかったが、ワンチョペの美しいダイレクトパス、見事だった。FC東京の人は皆、外国人フォワードを「ボールをキープしてくれるいい人」とか「決まらなくても強引にシュートしてくれる人」扱いしがちだが、そろそろそれ以外の発想も生まれてくるんじゃないだろうか。
昨夜はとても体調が悪く、尋常ではない「いびき」と時折無呼吸のような症状になったりと、大変だったらしい。この騒音のため安眠を妨害され激怒した妻がそのいびきの状態を録画(と言っても何も映っていないが)していたので、これをごく一部のマニアの方の為に公開する。まさにBroadcast myself.
※かなりマニア向けの音声です。苦情は受け付けませんので、覚悟の上聴いてください。
お耳汚しのお詫びに、Dean & Brittaのビデオクリップを貼っときます。まるで昭和歌謡のような音と映像にグッときました。
金曜日。飲み会。少し飲み過ぎたが、ちゃんと電車で帰れた。
土曜日。朝から映画行って、夜は赤坂で飲む。赤坂に向かう前に、ちょっと目黒川沿いを花見がてら散歩した。川沿いの桜というのは風情があっていいが、この日は天気が悪かった。その後はいつものように飲み過ぎ、それでも電車でちゃんと帰れたが、途中で寝て3駅ほど乗り過ごしてしまった。危険。
日曜日。体調が悪い。いったん起きたが、昼頃にまた睡魔が襲ってきたので、素直に寝た。夕方起きて高円寺へ。Punkchillのライブを見る。ビデオをとる。マスクとキャップでかなり怪しい風体だったようだ。


