cinema: 2005年11月アーカイブ

親切なクムジャさんを見た。

「復讐者に憐れみを」、「オールドボーイ」に続く復讐三部作。つーか何でもかんでも「三部作」にしたがる世の中が少しおかしいのだろうが、人が気持ちよく感じるツボなのかな?「三部作」って。

好きか嫌いかを問われると非常に答えに窮するのだが、少なくとも気分爽快で元気が出るわけではない(当たり前だ)。でも、残酷な表現が不愉快極まりないかというとそうでもなかった。結論がどこにもないという極めて正統的な「映画」なのかもしれない。もうちょっとストイックだと好みなんだけど。

以下はネタばれあり。

ちょっと前にDVDで見た映画。チャン・ドンゴン主演、キム・ギドク監督の「コースト・ガード」
コースト・ガード

原題は「海岸線」だそうで、それでなんの問題もないと思うのだけど、そうも行かない事情があるのだろう。

とてもいい映画だと思ったが、スターとしての「チャン・ドンゴン」を使う意味は全くない。この映画なら無名の、だけどいい表情が出来る俳優を使うべきだろう。フォーカスが主人公に当たり過ぎてしまっている。チャン・ドンゴンに罪はない。北野武が「3-4x10月」で柳ユーレイを使ったように、わざと存在感のない俳優を置くことで表現される世界があったと思う。そこが少し残念。

ただ、キム・ギドクの映画には、どんな俳優が出ようが消せないリズムと映像と音楽がある。

人間は、彼や彼女が置かれた環境に順応する。遅かろうが早かろうが、順応は厳然たる結果としてある。

ライズXで フリークス デジタル・リマスター版を見る。

1932年に公開され、その後長きに渡って封印。1960年代以降はカルト映画として多くの人に語り継がれてきたトッド・ブラウニングのフィルム。ついにこの目で見た。

「異形の者」が普通であったり標準のものに対して挑む闘争の物語、もしくは「普通」や「標準」が異形の者を迫害し排除しようとする物語。それは映画に限らず人類が物語ろうとする行為の原初からあったものであるのだが、この作品は本物のフリークスが見世物小屋の世界から抜け出してフィルムに納められた、という衝撃のせいでここまで重要視される作品になったのであろう。「心の醜いものこそが本当のモンスターである」というフレーズは正しくないし、どこか誤摩化しがある。人は「モンスター」にされてしまうことを畏れ、「モンスター」に出会うことを畏れ、そして自分も既に「モンスター」かもしれないと畏れているのだ。この世の中は常に、「普通であること」「みんながそうだと思うこと」と、逸脱していくもの、排除されるものの闘争である。フリークスが受入れられる為には、自分の異形を客観化して価値のあるものに再構築する作業が必要だし、同時に普通の世界の住人はいつも異形に魅せられてしまう自分たちを否定出来ない。

思えばこの映画は、大学の講義で知ったのが最初だった。その頃はこんな本を読んだりしたのを思い出した。

フリークス 秘められた自己の神話とイメージ
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畸形のシンボリズム
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