cinema: 2006年10月アーカイブ

ライズXで、悪魔とダニエル・ジョンストン

中学生のころ、同じか一つ上の学年の特殊学級にKちゃんという子がいて、彼のことを思い出した。彼は猛烈に絵がうまくて、まさにダニエル・ジョンストンが書くようなイラストを大量にいつも書いていた。しかも頭の中には彼の作ったヒーローが活躍する様子が完璧に浮かんでいて、ストーリーを拙いながらも人に説明してくれたりした。僕は内心彼の言葉が余りに伝わりにくいことにイライラしていたが、絵の独創性はどんなに頑張って絵の勉強をしてもかなわないだろうな・・という諦めを感じていたように思う。

ダニエル・ジョンストンは、多くのミュージシャンたちに愛されることで有名になった。パステルズがカバーした"Speeding Motoecycle"より先に、彼のオリジナルを聴いたことのある人は少ないだろう。その他多くのカバー曲があるけど、そのカバーの意図は全部同じだろう。つまりこんな風にいい曲を書きたい、ただそれだけ。

何かを作り出すには、程度の差こそあれ「何かに取り憑かれなければならない」のであって、彼の場合はその取り憑かれ具合が余りにも常軌を逸しているだけなのだ・・・ということがよくわかる映画。良かった。

渋谷で映画。フラガール。ヒットしてるらしい。確かにベタだけどよく出来てる。感動もする。映画のベタな感動パターンの筆頭は、「愛する人が死ぬ」かもしれないが、2位は「みんなが団結してがんばる」なのかもしれない。

というわけで十分に楽しんだのだが、何よりも

「蒼井優がやばいくらいかわいい」

ということだけでこの映画については語り終わってしまうのかもしれない。すみません。

フィリップ・シーモア・ホフマンのカポーティ

僕は基本的に伝記映画が苦手で、それも既に歴史上の人物であればいいのだが、死んでからさして時間のたっていない人物が映画の中でこれみよがしに演技するのはなんだか胡散臭くて嫌だなあと思っているのだが、この映画は数少ない例外と言える。彼のオカマ声の演技が、本当のカポーティに似てるかどうかなんてどうでもいい(似ているらしいが)。似ているかどうかでなく、そこにいる人物が確かに息をしているような気になれるかどうかが重要なことなのである。フィリップ・シーモア・ホフマンの演技は圧倒的にその人物がフィルムの中で生きているという感覚をもたらしており、我々は、傲慢にも他者の運命を完璧に記述するという野望に取り憑かれた一人の作家の高揚感と墜落を目にすることになる。「小説」というジャンルは、この方向が一つの到達点なのかもしれない。

「冷血」はおそらく本棚の奥に眠っているのだが、お恥ずかしいことに未読のままである。新訳が出ていたので文庫で買った。これから読む予定。
冷血