cinema: 2007年4月アーカイブ
見たのは2週間くらい前かな?ボブ・ディランが音楽だけじゃなくて出演もしている。サム・ペキンパー1973年の作品。解説によれば「ならずもの」たちの終焉の物語でありながら、同時に「西部劇」的映画の終焉も描く・・みたいな感じらしい。そもそも西部劇をそんなに見てないから、そのあたりはよく分からないが、ディランはかっこいいし、全編に退廃と死のムードが流れる。
映画とはまったく関係なく真島昌利の「さよならビリー・ザ・キッド」を思い出した。なんとまあ絶望的な歌詞!なんだ。
21で結婚して27でもう疲れて
夢のカケラさえ投げ出し惰性で時を過ごしてる
ぬけがらのように虚ろで 話題は過去に流れてく
君は伏せ目がちになって人の人生をうらやむ
日曜日。東京都写真美術館ホールでパラダイス・ナウ。
劇中に「日本のミニマリズム映画みたいな人生」などというセリフが出てくることからも伺えるように、おそらくは今日の映画的な作法/文法をしっかり身につけている制作者たちによって作られた映画である。ターゲットは、ヨーロッパ、日本、アメリカ・・・つまり「自分たち」以外である。(ちなみに日本のミニマリズム映画とは青山真治の「ユリイカ」が頭にあったらしい。他にも北野武の「ソナチネ」と似た構図があるなど、劇場に貼り出してあった監督のインタビューが面白かった。追記:公式ページにもあった。)
これは「あちら側」から「こちら側」に向けての、誠実な一つの手紙である。あなたたちは本当にあちら側とこちら側を分けることが出来るのか?なぜ悲劇は終わらないのか?「あなた」は「わたし」になることが出来るか?あなたは自爆攻撃に向かうことが出来るか?出来るならなぜ?/または出来ないならなぜ?
映画はこういったメッセージを、実にローコストに世界中に届けることが出来るメディアなのかもしれない。
あと、こういう監督なのも嬉しいというか。
なぜ航空エンジニアから映画監督になろうと思ったのですか?
当時好きだった女の子にフラれたので、映画監督になったら見返せるし、モテると思ったのです。
予告編。
先週の土曜日。目黒シネマでウディ・アレンの「マッチポイント」。これは道徳の教材として世界中の子供たちに見せてはどうだろう?と思いたくなるほどの、不道徳で、だけど正直な物語である。
この映画の言わんとするところは、オシャレに言うならば「人生は運」となるのだが、ぶっちゃけて言えば「人間は欲望の奴隷」であり、「勝ち馬に乗りたいなあ」となる。
この映画を見た人が、物語の中にてんこ盛りの「不道徳」に対して語らず、その代わりに「いかにスカーレット・ヨハンソンがエロいか」を語りたくなるのは当然である。我々は日々、そのように考える訓練をしているのであり、この映画はその訓練の復習のようなものだからだ。人間が一度味わった「よい生活」や、「満たされた欲望」は、手放すのは容易ではない。我々はそれを手放すような事態を「不幸」と感じるように設計されている。金も地位も愛もセックスも、すべてがラクチンに手に入っちゃったら、おそらくは全力でそれを守りたくなるのがこの哀れな人間の習性であり、その理由付け・正当化をするのが「欲望の対象としての女性」を完璧にやってのけるスカーレット・ヨハンソンなのである。
ただし、実世界での我々は、この映画ほどに純化された欲望や、自分が努力せずに手に入れた「ラクチンさ」に自覚的でなく生きているから、なんとなくこれを単なる娯楽として消費したくなってしまう。そのカジュアルな現状肯定感こそが、多くの批評家や「大人」たちがこの映画に喝采を送った理由なのかもしれず、そう思ってみるとなんとも恐ろしい映画だと言える。(つまるところこれは、ドストエフスキーの「罪と罰」を完全にコケにした映画なのだ。)

