cinema: 2007年6月アーカイブ
テレビ画面サイズの映画メモ。
レイクサイド マーダーケース

青山真治監督作品ってユリイカしか見てない。なんというか、深い理由もないんだけど。
この映画はちゃんとしたミステリが原作で、どうも真面目にミステリ映画をとろうとしているような感じなんだけど、端々にヘンなところがあって、そこが良かった。こわーい感じの音楽とか、泡ぶくぶくとか、本当はベタな演出とかやらないのに、過剰に「映画」を愛している感じが伝わってくるというか。子供が3人、トヨエツと役所広司の前に並ぶシーンが良かった。(あそこから更にグチャグチャのホラーになったら、そりゃもうジョン・カーペンターだろう。)
アイ,ロボット

こういう映画見て、おお「アイザック・アシモフ読んでみたい」とか思ったりするんだよな。中学生とかって。いいなあそんなお年頃。という映画とは全然関係ないことを思った。とりあえずSF大作に出てくる「美人女性研究職」は、なんというか、あり得ない感じが実にいいなあと。
エイリアンvsヴァネッサ・パラディ

ダメ映画。時間の浪費。でも見ちゃったのはヴァネッサ・パラディ(なんか凄い痩せててびっくりした。)を見たかったから。かわいかった。以上。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

今回は少子高齢化の進む世界について。その昔のウルトラQ、ウルトラマンとかウルトラセブンとかが、当時の社会を映した特撮ドラマだったのと同じように、攻殻機動隊のテレビシリーズってのは、そういう話題にガンガン突っ込んでいく姿が素晴らしい。今の日本映画は「人が死んで悲しい」系かヒットした漫画原作ばかりで、なんとも寂しい状況なのかもしれない。
シネマヴェーラ渋谷にて、官能の帝国 ロマンポルノ再入門。真夏日の午前中からロマンポルノを見るというのも、なんともヘンな休日の過ごし方だが、まあいいんじゃないでしょうか。
八月はエロスの匂い
藤田敏八(今更だけどサッカーの藤田俊哉とまったく同じ読みなことに今日気付いた!)監督作品。前半はデパートガールの現代風(つーか1972年だけど)の恋とかセックスの話かと思いきや、ヒッピー風の若者5人組を追いかけ出す途中からドンドンおかしな展開になっていく。浜辺でジャックスの曲(Love)のあたりとか、もう完全にクレージーとしか言えない演出の映画になってて、不条理なエロスというよりも不条理な生そのものを感じさせる映画になっている。よくもまあこんなシロモノがポルノとして認められたもんだ。
美少女プロレス失神10秒前
夢の島大学と八王子大学のプロレス愛好会同士の抗争を描いた青春スポ根ドラマ・・・ってもうタイトルと舞台設定の時点でおかしなところだらけ過ぎるんだけど、迫力の(というかギャグばっかりだけど)エロシーンおよび更にド迫力のプロレスシーンが満載で、あまりのバカバカしさに戦慄を覚えた映画だった。女優さんたち、明らかに濡れ場よりもプロレスシーンでの気合いが凄いし、相当練習したと思われるキレのある動きだった。音楽はスペクトラムで、これまたカッコ良くて新鮮。監督の那須博之の華麗なフィルモグラフィー(?)の中でも、この作品が死後に上映されると予想出来た人はいなかったであろう。
毎日飲んだくれているばかりではなく、本や漫画を読んだり、もちろん仕事だってやっている。映画は映画館で見るべきだとは思うのだけど、ケーブルテレビでやってる映画も時々は録画して見たりしている。
遊星からの物体X

ジョン・カーペンターの傑作。子供の頃に深夜にテレビで見たような気がする。今にしてみれば、ジョン・カーペンターは結局この映画のテーマを延々と繰り返し繰り返し、映画を作り続けているのかもしれない。
クローン

これは昔見たことがあった。ディック原作(短編「にせもの」)の映画化で、ファンにも割と評判がいい。確かにディック的悪夢の世界観に忠実で、まあまあ好感が持てる。
さよならみどりちゃん

メシを作りながら適当に流し見た。星野真理よりも西島秀俊の壮絶なだめっぽさが印象に残る。古いユーミンの曲がいい。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man

面白くてびっくりした。J.D.サリンジャーのサイバーパンクバージョンとでも言えばいいのか。これは再編集版だったので、完全版を見るはめになりそう。
攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG Individual Eleven

こっちはパトレイバー2っぽいかも。「個別の11人」とは、サッカーの喩えか。繋がりたい/繋がれない「我々」への軽蔑と愛の物語。
うーん。。他にもいろいろハードディスクにたまっていて、全部見ることが出来るのか不安だったりする。
松本人志第1回監督作品 「大日本人」。見た。
僕は「松本人志」も「映画」も相当好きな方だと自覚しているのだが、この映画を見る前に気をつけていたことは「松本人志」×「映画」という捉え方で見てはいけない・・・ということだ。理由はないけど、「松本人志」にまともな「映画」が撮れるはずがないからだ。だからカンヌに出すってのも悪い冗談だと思ったし、北野武と比較したりするのも笑止千万だと思っていた。で、見終わってから思ったのは、やっぱりそのとおりのことだった。「カンヌ映画祭」で映画を選びたい人には向いていないし、北野武とは何の共通点もない。そして、面白いかどうかを人に問われたら、面白いと答えるけど、そこに何のためらいもないかと言うと、そうでもないという感じである。
日曜日。「大日本人」を見ようと思ったら満員だったので、シネ・アミューズで「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」。これも結構混んでた。
だいぶ前に町山ブログで紹介されてたのでなんとなく覚えていたのだが、確かに強烈で悪辣で悪趣味で下品で、しかも困ったことに面白い映画だった。「笑う」という行為を突き詰めていくと、そこには「差異」の迷路が待っている。差別ネタが禁忌であるから笑うのではなく、禁忌に対して笑うか/忌むかの反応を取らざるを得ないのが、人間だからだ。
同一性と差異の混沌であるところのアメリカ(ボラット風に言うならアメリカと合衆国)を旅するボラットは、そこで人間はどういった鎧を身にまとって生きているかを、淡々と(もしくは大変に騒々しく)レポートする。ボラットによって蛇口をひねられ、悪意や無知や偏見を垂れ流す人たちの表情は、どれも醜さに溢れているかというとそうではないし、ボラットの仕掛ける罠に比べればなんとも言えない無垢な感じさえある。更にはその「ボラット」という問題発言誘発の装置さえもが、その本来の目的を偽装するような巧妙な構造(まあ卑怯と言えば卑怯)を持っているので、結局剥き出しになった「アメリカ」は、その場に無惨にほったらかしにされるのである。まあそれでも結局、この映画のように「娯楽」としてすべてを回収/消費するだけの強力さをもった「アメリカと合衆国」なんだけど。
ボラットというキャラクターは、ほんの少しの例外を除いて、誰からも愛されず/しかも憎まれもしない。その「相手にされなさ」は見ようによっては相当に切ないし、それがなかったらこの映画はただの悪ふざけとして一瞬で忘れてしまうようなものだっただろう。

