diary: 2007年2月アーカイブ
(写真は本文と関係ありません。家にポツンと置いてあったのです。)そう言えば日曜日は中華街に繰り出して、春節なるイベントをちょこっと見てきました。爆竹が凄くって、その音に吸い寄せられるように人が密集してるとこに行ったら、あの、よくニュースとかでやってる獅子舞を見ることが出来ました。おお。派手だ。
夜は重慶別館なるお店でご飯。当然のようにビールと紹興酒でやられて、猛烈な満腹感および眠気とともに電車に乗って帰り。中華街というのは、なんとも言えない、主に食欲を中心とした人間の欲望がぐつぐつと煮えているようで、がしがし食ってがしがし出して、そんなふうにやっていかないと負けてしまうなあ・・というような思いにかられる街だと思いました。
先日、murataさんが只野仁への熱い想いを綴っていて、ああまったく同感だ。思っていたことを先に全部書かれてしまったと思って悔しい思いをしていたら、今度は更新係が只野仁に激似ということが判明し、これはある意味羨ましいというか、しかしながら褒め言葉ではないよな・・・と思い、そういえば更新係とオレの共通の友人で船橋の高橋克典と言っても過言ではないほどもっと似てる男がいることを思い出した。
まあとりあえず只野は日本のジェームズ・ボンドと言ってもいいと思います。それぐらい完成されてきている作品です。
まあそんなどうでもいいことを考えながら、昨晩もしっかり只野仁を見て、「恩師千崎!」という意味不明の叫びに笑って、その後のタモリ倶楽部も見て、1週間も終わりな訳です。仕事はガタガタだったけど。
そんで土曜日。朝からAmazonで買ったNASが到着。NASつってもこっち

じゃなくて(これも欲しいけど)こっち。↓

ちょっと想定外のことがあったりして苦戦中だけど、とりあえずドカンとファイルサーバが出来たので嬉しい。
飲み過ぎは未だに続いていて、今日も政治的に気疲れし、酒飲んで朦朧としつつ。でも早起きしてちゃんと仕事もしているのだ。
そういえば先日、通勤途中(朝の8時過ぎくらい)のマンションの駐車場で、ゴルフの素振りをするオッサンと、縄跳び(しかも二重飛び)を熱心にしているうら若い女子がいて、いったいこの二人は何なのだろう?と一瞬夢を見ているような気分になった。人間は不思議だ。
不思議人間と言えば、スーパー・ギドク・マンダラだって。もうこれは行くしかない!でしょう。未見は「ワイルド・アニマル」、「悪い女」、「リアル・フィクション」の三本。新作含め楽しみ。
暖かい日々。先週はもうFC東京の年間チケットが届き、4万円を強奪され、そのうち気づけば花粉舞い散る春になっているのだろう。アグレッシブに行きたいような、はたまた惚けたようにダラダラしたいのか、よくわからないが何かを企みたいような2月である。
先週は水曜日に泥酔して、木曜日は軽く二杯くらいで、金曜日も結構飲んで(おまけにダーツとかやって)土曜日は焼き肉食ってビール飲んで、日曜日はさすがに飲みに行かずに家で食事をしたのだが、ついつい余っていたワインを飲んでしまって結局ほとんどずっと毎日飲んでいたことになるので、今日はホントにやめときます。
昨日はスープカレーを作ったのだが、これがなかなか美味しく出来た。スープはクミンとカレーパウダーとブイヨンとウスターソースとハーブ入りの塩。あとは手羽元と野菜を適当に。昨日は茄子と人参とエリンギとブロッコリを入れたのだが、何を入れても美味しくなりそうである。唐辛子は、入れたい人はたくさん入れるセルフサービスで。
コンバースのスニーカーが安かったので買ってみたのだが、最近はニューバランスばっかり履いていたので、とても足が疲れるような印象。人間というのはいったん楽をするとなかなか簡単には昔に戻れなくなるのだな。

あと、発売から随分時間がたってしまいましたが、プンクチルのAgainがやっとAmazonでも取扱開始となったようです。なんでこんなに時間がかかったかぶっちゃけて申し上げますと、インディーズであっても、Amazonで取扱う商品はJANコードが必要になった・・という情報を我々が知らなかったということなのです。お恥ずかしい限りですが、そんな事情もあってバタバタと遅れていたわけですが、こぐま更新係もポストカード作成に邁進するだけではなくこうした仕事もキッチリやってくれたのでございます。素晴らしい。(オレはその間飲んだくれていただけという気もするし)というわけでAmazonで買おうと思って待ってた方がいらしたら、ガツンと買ってくだちゃい。今やポイントとかついちゃうし。
首がまた痛くなった。今日は一日家で静養。会社で不自然な姿勢で寝たからだろうか?これからも歳をとるとともに身体のあちこちがボロくなってくるのだろう。部品の交換やメンテナンスをしたいが、そんな風にこの身体は出来ていない。ああまたとりとめもなく昨日の話。(一部誤解を招いたみたいなので、フォローみたいな感じ?フォローになってないかもしれないけど。)
どうしては人は機械に例えられるのが嫌いなのだろうか?
「産む機械」は論外の低レベル発言として、「会社の歯車」とか、「消耗品」「持ち駒」「捨て駒」といった表現も大抵の場合は嫌悪の感情でもって迎えられる。つまりそれは、「機械」という言葉が「特定の機能を果たす為に存在するもの。正確にその機能を果たすモノとして期待されている。(そしてその機能を果たせない機械には、存在価値はない。)」からだろう。他者から何らかの機能を期待されることはやぶさかではないが、他者から何らかの機能を果たすよう強制されるのは嫌だからだ。それはその機能を果たせないこと=存在価値の否定となってしまい、そうやって他者から不要であるという烙印を押されたとしても生きていかなければいけない僕らにとっては、到底受け入れ難い考え方であるからだ。
昨日の夜、テレビで「千と千尋の神隠し」をやっていた。何度見ても素晴らしい。その中で湯婆婆に「ここで働かせてください!」としつこく食い下がる千尋が、雇用を承諾してもらうことと引き換えに名前を奪われる(「千」になる)というシーンを見て、ああこれは人が「役目」を与えられること/引き受けることの悦びと悲劇性を描いているのかな・・という気がした。
人は自らの機械的側面を、十分に認めている。ある程度の機能を果たさなければ世界から認めて貰えなくなることを自覚している。かつ、自分が交換可能な部品や、自分以外の人でもある程度はリプレース可能なモノであるということも、気づいていないふりをするかもしれないがよくわかっている。(だから人は悲しい気分になったりする)ただ、そんな「機能」を提供する存在としての人間には、「感情」というソフトウェアが標準で添付されていて、「千と千尋」に出てくる釜爺に言わせればそれは「愛じゃよ、愛」ということになるのかもしれない。
そう言えばこんな歌もあった。
あの娘に言わせりゃ オイラはバイブレーター
欲しい時そばで こいつが立てばオーライ
よそもの呼ばわり されちまったよ
人の思いなど 僕にはわからねーよTheピーズ/バイブレーター
いやあ一月は仕事も暇だなあなんて余裕かましてボケボケしていたら、突如として猛烈な嵐に襲われてしまったような感じのここ数日でした。こわくて死にそうでした。
「女性は産む機械」というどこかの大臣の発言が問題になっているらしいが、その発言がイコール女性蔑視、と判断して怒る人たちの中には確固として機械<人間という式が成り立っているのであって、つまりロボットなんてのはあくまで道具に過ぎないのだよという感覚が主流なのであろうということがよくわかった。SF者というのは機械蔑視に敏感なのである。たぶん。
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人間と機械の違いとは?

